「球磨型」の図面から、艦橋基部の平面形を考える – 1/700で天龍型軽巡をつくる: 5

「球磨型」の図面から、艦橋基部の平面形を考える

「天龍型」の艦橋については、図面の類が一般には出回っておらず、また、旧式艦のためか、出版物による写真資料でも鮮明な写真に恵まれていない。

そこで、後継の「球磨型」の形状から逆算して、艦橋基部の平面形を導き出せないか試してみた


艦橋形状は、恐らく、今回の「天龍型」の製作で最も推定要素が多い。
最初に出来上がりを見ていただこう。

スクラッチした1/700の「天龍」「龍田」と、ハセガワ製「天龍型」のキットの艦橋の比較
不安になるくらい別物。

既存のキットや作例とはかなり異なるので、違和感を持たれるかもしれない。
だが、無論、故無くこのような形にしたわけではない。
今回はまず、キットと最も大きく異なる、基部について説明しようと思う。

艦橋基部の平面形について

ここがハセガワのキットでは、実物と全く異なる「特型」以降の駆逐艦のような長円形平面になってしまっているのは、良く知られているところだ。
実際には、円筒形の司令塔背後に変形八角形の甲板室が続く「球磨型」に近い構造である。

「天龍」の艦橋
変形八角形とは何ぞや? と思われるかもしれないが、要はこんな形。

艦橋周りは公式図面の類が出回っておらず、横幅や平面形が判りそうな写真も乏しい。
艦橋基部の横幅が判りそうな写真で比較的入手が容易なのは、以下の2葉くらいだろうか。

  • 光人社の「写真 日本の軍艦」 (含、ハンディ版) 掲載の1935年 (昭和10年) の「天龍」の艦橋正面の写真[1]
  • 学研の「歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型」や「世界の艦船」増刊の「日本巡洋艦史」(旧版) 掲載の1934年 (昭和9年) ? の上空写真[2]

容易とはいえ後者の2冊は絶版なのだが、この系統の絶版本の中では比較的流通がある方。
「天龍型」不遇だなあ。第一次ソロモン海海戦の武勲艦なのになあ。

幸い、「球磨型」については、「平賀譲アーカイブ」に艦橋基部の簡易平面図[3] があるので、これと先の2葉の写真を元に考えてみることにする。

「球磨型」の艦橋付近平面図
司令塔は単純な円断面。

まず、前端の司令塔の平面形を「球磨型」の図面に倣って正円と仮定
正面写真の司令塔の幅と、船体製作時に公式図面から推定した船首楼の幅との比率から割り出すと、「天龍型」の司令塔は1/700で直径3.5mmとなる。
後半部分が隠れており不確かなものの、側面からの印象でもこの径で違和感は少ない。

「天龍」の艦橋正面
右舷側の船首楼の端は人物に隠れて見えないので、中心線からの比率で計算。

司令塔の後ろにつながる変形八角形の甲板室の最大幅は、正面写真と上空写真で、導き出される値が異なる。
司令塔同様、公式図面の船首楼幅から算出した場合、正面写真準拠では「天龍型」の艦橋基部の最大幅は1/700で約7mmだが、上空写真準拠では「天龍型」の艦橋基部の最大幅は1/700で約7.8mmとなる。
恐らくは、カメラのレンズによる歪みが影響しているのではないかと思うが、私はそのあたりが疎く、この矛盾は解決できなかった。
今回は、より引きの画で歪みが少ないであろう、上空写真準拠の7.8mm幅とした。

「天龍」の背面上空
先の正面写真と比較した結果、こちらの写真から導き出される寸法を採用。

中央部から前方に窄まる斜め部分の角度は、先に割り出した基部の最大幅と司令塔の幅、そして側面写真から判る前後幅から自動的に決まるので迷う余地はない。
ここの角度は、「球磨型」よりは、どちらかというと「峯風型」や「樅型」など、同時期の駆逐艦の最上甲板のそれに近い。

後部の窄まりは、手がかりが無いので「球磨」と同じ角度とした。

さて、ここまできて、やっと工作である。
司令塔は3.5mm径なのだが、そんな半端な径のプラ棒やプラパイプが無い。
そこで、コトブキヤの「モビルパイプ」の3.5mm径を2本継ぎ足して使用した。
これはガンプラの動力パイプ用のパーツなので、半端な径のものがあるのだ。
2本だと僅かに高さが足りないので、現物合わせでプラ板でスペーサーを入れている。

後半部分は、普通にプラ板の箱組みにて。
1934年 (昭和9年) の「天龍」の写真[4] から、基部の後面は「長良型」の様に開放式である事が判るので、そのように。
この部分では「天龍」と「龍田」の確認できる差異は少なく、私が確認できたのは以下の2つ。

  • 2層目の床面「龍田」1層目と同じ平面形なのに対し、「天龍」は後端が三脚楼の支脚に合わせるように多少拡張されており、側壁から一部張り出している
  • 司令塔直後の絡車「天龍」横置きで左舷が大きく右舷が小さい「龍田」左右同じ大きさで縦置き

「天龍」と「龍田」の艦橋基部周辺の相違点
「龍田」は鮮明な写真が乏しいのだが、特定できる範囲ではこれくらいの差。


冒頭の写真の通り、現時点で艦橋全体の基本工作は概ね終わっている。
しかし、今回は写真を多用したこともあって記事がかなり長くなってしまったため、一旦ここで区切らせていただく。
羅針艦橋周りについては、近日中に後編を公開できると思うので、乞うご期待?


参考書籍

  • 石橋 孝夫・戸高 一成「軽巡洋艦『天龍』写真説明」『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年、3頁 ^1
  • 「『天龍』『龍田』」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年、75頁 ^2、74頁 ^4

参考ウェブサイト

  • 東京大学『平賀譲 デジタルアーカイブ』、2013年閲覧、公開日・作成日不明 ※ 上記一覧ページから「カード目録」を「球磨」で検索。

    • 「巡洋艦兵装ニ関スル改良調査ノ件報告附図面 第一図:加古級、第二図:長良級、第三図:球磨級、第四図:木曽」^3

全て敬称略。

「「球磨型」の図面から、艦橋基部の平面形を考える – 1/700で天龍型軽巡をつくる: 5」への10件のフィードバック

  1. はじめまして。
    天龍型の製作記事、興味深く拝見させていただいてます。少ない資料で
    これだけのものをと感心します。ハセガワの迷キットの印象が悪く作例も
    少ないですが、これこそベストの作例と期待しています。
    私も発表された写真から天龍、龍田の艦橋の違いについては、研究の通り
    だと思います。今まで誰も指摘しなかったのが不思議です。
    戦時中の天龍の艦橋のアップ写真は存在するのですが、あまり知られて
    いないのでしょうか。「一億人の昭和史シリーズ」の「不許可写真史」に
    掲載されています。初めは旧式駆逐艦か球磨型の改装前のものかと
    思いましたが、分離した探照灯台など天龍の特徴だと思います。天蓋には
    測距儀は見当たりませんが…。ご存知でしたらご意見を伺いたいと思います。

  2. AKIベエさま、はじめまして。
    貴重な情報ありがとうございます。
    「不許可写真史」については、非軍事系と云う事もあり、完全にノーマークでした。
    幸い、近所の図書館に蔵書している様なので、近日中に確認してきたいと思います!
    いま、まさにその辺りの原稿と画像を編集しており、明日にでも公開できるかな、と考えていたので危ない所でした。
    天蓋測距儀の根拠は、今のところ工事訓令と、昭和16年のボケボケな写真1枚だけなので、これが「天龍」なら、色々な疑問が氷解するかもしれません。

  3. AKIベエさま、追記です。
    先程、早速仕事帰りに図書館で借りてきました。
    ご指摘の通り、「天龍」の可能性が高いように思います。
    とりあえず、私がAKIベエさま指摘の探照灯台以外で、「天龍」だと判断した根拠は、以下の辺りです。
    https://pbs.twimg.com/media/BisCNKYCQAAD6bH.png
    あとは、行動記録で裏が取れると良いのですが、撮影データが確かなら、撮影者乗船の昭和17年6月の「天龍丸」と、「天龍」は共に内南洋に有った事までは判りました。
    但し、「天龍」は攻略作戦に従事しており、果たして片手間に「天龍丸」に護衛同航する事が出来たのか……。
    まだ2時間位しか調べてないので、穴だらけですが、これが「天龍」の可能性、かなり高いとみました。
    面白いので、模型に反映させてみようと思います。
    改めまして、ご指摘ありがとうございました。

  4. はじめまして。手元に天龍の兵装図があります。
    艏楼甲板平面 上甲板平面・船ソウ甲板平面
    艦橋断面・羅針艦艦平面 後部艦橋平面 後部甲板室平面
    が読み取れます。艦橋下部断面は大井の図面とそっくりですね。
    天龍の場合、氏の模型とは後部艦橋断面から後部の部分が異なります。
    また、予備魚雷格納庫が第一煙突横 後部甲板室右舷にあります。
    第一煙突横の構造が魚雷格納庫ということで氏の模型とも異なります。
    平賀資料から断面図とこの兵装図から天龍型をいつかやってしまおうと
    考えていましたが、既に始められた方が居ましたかと思う所です。
    ご参考まで。

  5. KONY様はじめまして。
    天龍の兵装図、現存するのですか!
    出来れば一度見てみたいので、差支えなければ、出典など教えて頂ければ幸いです。
    現状、前後の予備魚雷用スキッドビームの構造がほとんど不明なので、資料を探している所です。
    (大和ミュージアム所蔵、と云われると諦めるしかありませんが……)
    さて、始める前は、ハセ天龍が全くの別物なのでどうしたものかと思いましたが、船体さえ形になってしまえば、あとは意外とWLのディテールアップと同じ感覚でいけるものです。
    KONY様もこの機会に一緒にスクラッチなさいませんか?

  6. 情報お役に立てたようで、なによりです。
    しかし即日に写真を入手とはすごい行動力です。
    天龍と確信したのは他にもおっしゃるとおりの点で、砲盾の向きも
    そのひとつです。右上端にほんの一部写っているのは探照灯台の
    支持構造物でしょうか。測距儀は円筒のものが甲板から立ち上がった
    タイプと思っていたので、装備されていないと思っていましたが、
    なるほど装備されていますね。
    しかし撮影側の行動年表から検証するのは思いつきませんでした。
    この写真は私の中では数十年来、天龍のものということで常識?
    になっており、業界誌の作例や図面でも表現されないのはなぜだ
    ろうと思っていました。このブログも以前から読んでおり、もっと
    早くお知らせすればよかったですね(苦笑)
    また新たな情報もあるようで、それらを反映して決定版の天龍型を
    期待しています。
    さて自分でも図面をおこしてハセガワキットを改造しようと思って
    います。

  7. AKIベエ様
    先程、一連の情報を整理して、記事にまとめてみました。
    http://www.enjaku.sakura.ne.jp/2014/03/tenryu-class-6.html
    何かお気づきのことなどありましたら御指摘ください。
    突き詰めてみると、天蓋上にブルワークや手すりが無いのと、主砲の向きの2点だけで、「天龍」と特定できるのが意外でした。
    先日の艦船模型スペシャル誌での「天龍」の作例では、1934年頃の形状を元にした作例でしたが、近日、ネイビーヤード誌での軽巡連載が始まるそうなので、そちらではどのような解釈がなされるのか、楽しみではあります。
    ハセガワのキット、当初は私も芯にはなるかと目論んでいました。
    が、多分、実際に図面を起こすと、私のようにプラ板で作った方が楽か……と思われるかと (笑)
    完成の暁には、何らかの形で拝見したいですねえ。

  8. はじめまして 大阪の高年モデラーのひろしと申します 家に積み模型が貯まってる者です( ^ω^ ) ジャンルは全般ですがメインは兵器系です。。積み模型に比叡と三笠と雪風がありまして、 たまたま艦橋の構造検索してまして( ^ω^ ) あの、駆逐艦や軽巡洋艦クラスの艦橋って 窓のある前半分に壁と屋根があり後ろの両舷側にある?出入り口は明け透けになってるのでしょうか?

    1. ひろし様
      はじめまして。仰る通り、日本の軽巡・駆逐あたりの艦橋後半は素通しの雨曝しですね。これが英国の駆逐艦となると、艦橋全体に屋根もガラス風防窓もないと云う。
      二次大戦頃までの気風として、駆逐艦乗りたるもの自らの五感を以て潮目や風を読むべし、と云うような気風があり完全な閉鎖構造にしなかったという話を聞いたことがあります。

      1. なーるほど(^◇^;)後ろにはドアなし明け透けですか(^_^;) もしかして古い比叡の類いとかもそうなんでしょうか? 軍艦雑記帳見てもよく分からなかったもので 謎が解けました( ^ω^ ) 出入りしやすいけど沈没時は海水ジャブジャブですが 漢たる軍艦乗りはそれ承知で志願 て感じですね(^^;;ありがとうございました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です