「飴色問題」と日の丸の見栄えを意識して、試製強風を塗る

昨年の暮れに、ツィッタァ上の早組み企画、プラモタイムトライアルに参加したのだが、その際、時間切れで放置していたハセガワの1/72「強風」試作1號機を完成させてみた。

企画の性質上、目立った改造はしておらず概ね素組なのだが、塗装面で割と試行錯誤したので備忘録的に残しておこうと思った。


灰色塗装? 橙色塗装?

私が持っていた単体版キットでは、全面灰色塗装指定なのだが、近年コンボキット化されたものでは全面黄色指定。はて、これは? と思ったら、たいらい氏曰く、初版発売後に出た「世界の傑作機」のイラストを鵜呑みにしたのでは? とのこと。

写真の1號機は初飛行が17年5月で、黄色塗装が定められた「軍用機味方識別に関する陸海軍中央協定」は同年10月。
キット仕様の尾翼に機番が入ってない状態は軍の受領前なので、機番無しで組むなら灰色一択。これはコンボキット版を組む場合も同様

飴色ガカリタルJ3灰色の話

さて、海軍機の灰色と云えば避けて通れないのが飴色問題。「『J3』ノ稍飴色ガカリタル」と云う例のアレだ。以下、J3灰色との区別の為、人口に膾炙している「現用飴色」と表記する。
正直、前世紀末の誌上論争の口汚さに嫌気がさして暫くエアモノから距離を置いた位なので、あまり触れたくないのだが、さりとて無視できない性。

※ 確か、「飴って云っても色々あるだろ、ハッカ飴か? 水飴か?」の様な類の揶揄で、色についての研究をする人間が慣用色名としての「飴色」すら知らずに発言している事に呆れ、数千円の本を何冊も買い続ける気が失せた。
この発言者は、空技報0266に「『J3』ノ稍『某月某日購入、何の何某商店のナントカ飴の色』ガカリタル」とでもと書いて有れば満足だったのだろうか。

あらためて現状を調べてみると、まず、現存する「假規117」の色見本と日塗工見本の比較写真[1] が有り、その色調は、N5.5近似のやや暗めの灰色である。

現存「假規117」添付色票
J3灰色
N 5.5 日塗工見本との比較写真より

また、別サイトで実機の外鈑破片と日塗工見本の比較[2] もあり、こちらもやはり明度は低く、上記見本と同じ明度値5.5付近を中心に上限が明度6.5あたりで黄変がかなり進んでいる。
同ページ冒頭の考察にある通り、塗布直後はほぼ前掲の見本どおり無彩色であったものが、日光による強い黄変を起こしたものだろう。

零戦実機外鈑 5G 6.5/0.5 日塗工見本との比較写真より
零戦実機外鈑 7.5Y 6/3 日塗工見本との比較写真より
零戦実機外鈑 7.5Y 5/2 日塗工見本との比較写真より
零戦実機外鈑 2.5Y 4/2 日塗工見本との比較写真より

黄変については 片渕須直氏と古峰文三氏の考察[3]が判りやすくまとめられている。

両者に共通するのは明度の低さで、ほぼ現用の海自護衛艦の外舷色 (修正マンセルN5) に近い暗さである。

修正マンセル値N5近似の塗色の例
航空機の写真を挙げられれば良いのだが、この近辺のグレーの機体が浮かばなかったので。[4]

色見本と写真の明度差について

一方、当時の写真では、色見本よりもずっと明るく写っている写真が多い。

露出による錯覚で実際にはもっと暗い、と考えることもできるが、日本海軍機のみ一様に露出オーバーで撮られたとするにはいささか厳しい。
特に、空の色とほぼ同色で写っている写真が多いのが気になる。

「現用飴色」と、空の色、艦艇の「鼠色」との比較 有名な「赤城」艦上の零戦。機体部分がやや褪せて飛び気味だが、それでも艦橋 (N4~N5) より明るい灰色で、雲上の青空と同程度に見える。[5]

「現用飴色」と空の色の比較 これも有名な零戦一一型と富士山。空の色よりやや暗い。[6]

当時のモノクロフィルムは感色性の問題で青がかなり明るく写る。天候や場所にもよるが、国内晴天なら、概ね明度7~8程度に写ってしまうようだ。
とは云え、それだけでは些か曖昧なので、他の箇所との明度差から推定できないだろうか。

「現用飴色」と敵味方識別帯の黄色の比較 1943年 (昭和18年) の撮影なので内翼前面に黄帯が有る筈だが、機体色との明度差はごく僅か。[7]

「現用飴色」に最も近い明度で写真に写っているのは、翼前縁の識別帯の黄色である。
上掲の写真は「世界の傑作機 56」掲載のものだが、印刷でも黄色が微かに明るい程度の差である。また、他の写真でも、識別不能な程に同明度に写っているものも多い。

しかし、黄色も露出次第でどうにでも写るので、灰色同様に明るさを確定できないからダメ……とはならない

修正マンセル値N5近似の塗色の例 黄色系については、この要素があるため、一定以上の明度であることが確定できる。[8]

黄色と云うのは、ある程度の明度を持たないと黄色に見えないので、オレンジ寄りに暗めに見積もっても「黄色く」見えるのは修正マンセルの明度値7以上くらい。もっと暗いと、黄土色や茶色になってしまう
「假規117」色見本のうち、「黄色」で最も暗いC1でも5YR7/12近似であり、殆どオレンジ色の印象。
当時の「黄色」がこれ以上暗いとすると、実物を見た人の印象が「黄色」とはならないだろう事は想像いただけるだろう。

現存「假規117」添付色票
C1黄色
5YR 7/12 日塗工見本との比較写真[9] より
現存「假規117」添付色票
C4黄色
2.5Y 8/12 日塗工見本との比較写真[10] より

上は「假規117」の4色の「黄色」の内、最も暗いC1と最も明るいC4
4色の内、どれが敵味方識別帯用なのか判らなかったのだが、この黄色については黄土色説が出ない (少なくとも、私はここについての異説を聞いた事が無い) ので鮮やかな黄橙で確定の筈。
しかし、この見本帳のJ3と黄色を組み合わせても、実機写真の印象とはかけ離れた明度差が出るという、不可解な状況だ。

現存「假規117」添付色票
C1黄色
5YR 7/12 日塗工見本との比較写真より
現存「假規117」添付色票
J3灰色
N 5.5 日塗工見本との比較写真より

C1×J3の組み合わせは、辛うじて中島の暗い灰色に見えなくもないが、C1は試作機用のオレンジらしいので、敵味方識別帯の色ではない……?
下のC4×J3だと、明度差がありすぎて、流石に灰色と同じくらいまで暗く写るとは考え辛い。

現存「假規117」添付色票
C4黄色
2.5Y 8/12 日塗工見本との比較写真より
現存「假規117」添付色票
J3灰色
N 5.5 日塗工見本との比較写真より

当時のフィルムの感色性では赤系はやや暗く写るので、実際には赤みを含む海軍の黄もやや暗く写っている可能性が高い。つまり、明度値が7~8の黄色と同明度に写っているなら、灰色はN6.5~7.5程度と推定される。

現存「假規117」添付色票
C4黄色
2.5Y 8/12 日塗工見本との比較写真より
写真から明るめに解釈した例
J3灰色
N 7.5 日塗工見本との比較写真より

上記の推定による灰色を組み合わせた配色例が上。これ位明るくなければ写真と矛盾する。
となると、前掲の現存する「假規117」の色票や実機外板に見られる、明度5.5前後の色見本群は何か?

当時の写真と実物見本の明度差についての3つの仮説

ひとつは、納入塗料にN5.5~N7.5程度のバラつきが有った可能性。
日本海軍の場合、艦艇の外舷色の「鼠色」でもN3.5~N5とかなり大きなバラつきがあり、航空機の塗料でもそれくらいのブレがあってもおかしくない。
現に、中島製零戦の灰色は三菱製のそれより暗かった説が有力である。
この場合、翼前縁の黄色よりもかなり暗い灰色が写った当時の写真が無いのが矛盾点。少なくとも、私の手持ち資料の中には見つけられなかった。

ふたつ目は、当初は色見本や機体片程度の明るさだったものが、敵味方識別帯の施行以前の時期に組成などの変更があり黄色と同明度に明るくなった可能性。もしくは、新造時はN5.5相当だったものが、チョーキングして明度が上がった可能性。
こちらは逆に、黄色と同程度に明るい破片や色票の現存が確認できないのが不審である。

もうひとつは、当時は黄色に近い明度のN7程度だあった灰色塗面が、化学変化等の理由によりN5.5程度まで黒ずんだ可能性。紫外線による黄変とは異なる理由による変色ならば、屋内保管されていた「假規117」の色見本との齟齬も起きない。
但し、冒頭の片渕氏の考察にある亜鉛華による白色顔料は、酸化や経年による黒変が見られない素材の為、化学的には否定される

いずれも決め手を欠くが、現時点では「現用飴色」の色調は以下のように推測。
あくまで現存する外鈑や色見本に寄せたいなら修正マンセル値N5~N6、写真の印象に寄せるならN6.5~N7.5をベースとし、Y~GY域の黄変を好みで味付けする、と云った感じか。

配色設計

さて、今回の強風をどうするか。
二重反転ペラの1號機については、機番の入っていない灰色時代の写真が何葉か残されており、いずれも零戦よりかなり機体が白っぽく、日章旗を思わせる日の丸や機種の黒との強いコントラストが印象的だ。

試験飛行中の「強風」試作1號機 全体に飛び気味の写真だが、機体色が空よりやや明るいのと、黒に近い明度の日の丸が印象的。[11]

これを撮影時の露出の問題として片づけても良いのだが、このバランスが印象的で格好良いので、荒唐無稽にならぬ範囲で写真のイメージに近づけてみた。

黒色 N 2 GSIクレオス
Mr. カラー 旧蓋/新ラベル
C71
ミッドナイトブルー
灰色 (現用飴色) 5GY 8/0.5 GSIクレオス
Mr. カラー 旧蓋/新ラベル
C311
グレー FS36622
B2赤色 5R 3/9 Mr. カラー 旧蓋/新ラベル
C3
レッド ()
+
Mr. カラー 旧蓋/旧ラベル
C327
レッドFS11136

まず、ベースとなる灰色だが、前述の解釈の内で最も明るめの明度値7.5に写真の印象を加味し、もう少し明るく明度8とし、試作間もない時期なので黄変は控えめに。具体的には、クレオス特色の米海軍ハイビジ用グレーを使用。

防眩塗装の黒は、「黒じゃないけど青みの黒に見える」クレオスのミッドナイトブルー。灰色とは概ね補色関係にあり、灰色の黄色みを引き立てる役割もある。

赤は、フィルムの感色性を割引すると実物の写真から推定するなら3番赤で丁度良いくらい、「假規117」の色票では5R4/12近似と更に明るく、ドイツ機用のRLM23のような明るい赤。

現存「假規117」添付色票
B2赤色
5R 4/12 日塗工見本との比較写真より[12]

だが、それだと今回のコンセプトにそぐわないので、写真のほぼ黒に見える感じを意識し、3番赤と特色サンダーバーズ赤と半々くらいの調合で作った紅色調の深い赤に変更。
今回の配色で最もウソ度が高い
文字通り、真っ赤な嘘と云う奴だな! (……)

あろうことか総て米軍機色ではないか! ()

ハセガワ 1/72 「強風」試作1號機を後ろから 「現用飴色」としての正解は別に有る筈だが、実機写真の明度バランスは再現できたと思う。

汚しとか仕上げとか

基本塗装の段階でかなりパネルラインが良い感じだったので、今回は動翼以外にスミ入れを行っていない。
ただ、ウォッシングの段階で多少暗色が残ってしまい、結果、パネルラインがクドくなったのが残念。

ハセガワ 1/72 「強風」試作1號機を上から パネルラインはスミ入れしてないが、実機の印象だとこんな感じでも良いかと思う。

機体の汚れは試作初期の段階なので控えめにし、鉛直方向の雨垂れなどは無く、専ら進行方向に流れる汚れを薄くつけた。明度差よりも光沢差をつける感じ。写真だと判り辛いが。

逆に、フロート部分は実戦機より時間当たりの着水が多いと考え、少しキツめの泥はねをつけた。水面に頻繁に洗われるので堆積固着した汚れではなく、試作段階の不安定な離着水で派手めの生っぽい泥汚れが付いては消え、と云った感じ。

また、ドリー部分は対比を付ける意味で、汚れてはいるがフロートとは違い、雨や機体から落ちる水で短期間に急に錆びた感じの、静的な流れ錆汚しで。

ハセガワ 1/72 「強風」試作1號機を右から 機体、フロート、ドリーで汚し表現に差をつけてみた。

工作

何故か工作の説明が最後になってしまった。
キットそのものは特に資料もなかったので基本的に無改造。
追加工作としては、翼後端を薄く削ぎ、パイロットを載せたくらい。
窓枠は、以前紹介したカッティングマシンによる実験に用いたので凸モールド化してある。
最後に伸ばしランナーで張り線して完成!

REDBOX 1/72 日本海軍搭乗員セット REDBOX製の搭乗員フィギュアを追加。パーツ状態の印象はイマイチだが、塗ると化ける。

ハセガワ 1/72 「強風」試作1號機を左から 概ね素組だがキットのシルエットが秀逸なのでフチを薄くするだけでご覧の通り。


そんな訳で、今年の初完成品である。
今回記事に纏めるにあたり、文中にリンクした片渕氏の考察を読み返していたら、そこで触れられていた小峰氏との著作がどうにも気になり、暫く日本機を作る気も無いのに買ってしまった。何故、塗装前にその知的好奇心を発揮しなかったのか……!?

余談: タイミングが悪く模型には反映していないが、たいらい氏の日本海軍機プロペラ塗装雑学。プロペラ裏の塗り分けってこうなってたんだ……!!


参考ウェブサイト

参考書籍

  • 『世界の傑作機 No.55 零式艦上戦闘機11-21型』文林堂、1995年、27頁^5、26頁^6
  • 『世界の傑作機 No.56 零式艦上戦闘機22-63型』文林堂、1996年、29頁^7

全て敬称略。

「「飴色問題」と日の丸の見栄えを意識して、試製強風を塗る」への13件のフィードバック

  1. 失礼致します。

     旧日本海軍機の日章の赤色はリソールレッド(リトール赤、Lithol red)と呼ばれるレーキ顔料です。
    レーキ顔料の例に漏れず色は鮮やかでしたが、耐光性では無機顔料に劣りました(当時の赤色顔料の中では、ヘリオレッドよりも弱く新洋紅よりも強い耐光性でした)。但し、海軍の規定上では「2ヶ月間大気中に暴露するも殆ど変色せざるを要す」とされていました。
    リソールレッド・レーキは体質とする塩基に種類が有り、日本海軍ではバリウム塩の物を使用している為、カラーインデックス (Colour Index International, 略称 C.I. ) では、Colour Index Generic Name PR49:1(Barium Lithol Red)が、それとなります。

    【参考資料】
    海軍造船造機造兵主要材料試験検査規則. 航空機之部
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112346
    エチル纎維素塗料に就て(第一報)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/nikkashi1898/33/10/33_10_1111/_article/-char/ja/
    ベンヂル繊維素塗料に就て
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/nikkashi1898/35/2/35_2_167/_article/-char/ja/
    Color of Art Pigment Database
    http://www.artiscreation.com/Color_index_names.html#.V9f9K_mLT4U

    失礼致しました。

    1. Lunaさま
      はじめまして。興味深いコメントありがとうございます!
      リンクの色材データベースではPR49:1は青みの赤と説明されていますが、「PR49:1」で画像検索すると、どちらかと云えば黄みの赤の色粉の画像が出てきます。
      これは、いずれかが誤っているのでしょうか? 或いは、カラーインデックスのPR49:1の定義自体が比較的広い範囲の色を示すものなのでしょうか?
      現存「假規117」色票と日塗工見本との比較では、やや黄みを帯びてみえますが、これが経年によるものなのか、そもそもの色材からしてそういった色だったのか興味があります。

  2. 失礼致します。

    春園燕雀さん、はじめまして。
    突然の書き込みで御無礼致しました。

     「塗料辞典」(修教社書院 1942)によるリトール赤(バリウム塩)の解説ですと、「底色は青味を有す」と説明されています(ヘリオレッドよりも弱く~という情報もこの本より)。また、論文「リソールレッドの生成条件」(1964)によると、「この顔料は合成上のわずかな条件の差により結晶型,結晶の大きさ,結晶の形態等の非常に違ったものが得られ,そのため顔料として使用する際に色調,隠ペイカ,透明性,練和性等一顔料適性の異なった多種多様な製品が得られる可能性がある。」と報告されています。
    リソールレッドの使用は昭和4年頃(海軍造船造機造兵主要材料試験検査規則. 航空機之部より)からですが、それ以前は無機顔料の、恐らくはバーミリオンが使用さたと思われます(「エチル纎維素塗料に就て(第一報)」より)。想像ですが、バーミリオン(硫化水銀)の生成には、戦略物資の水銀が使用される為、レーキ顔料のリソールレッドに置き換わったのではないかと思います。
    因みに、先に参考資料として上げた「エチル纎維素塗料に就て(第一報)」と「ベンヂル繊維素塗料に就て」という愛知時計電機株式会社(九九艦爆や晴嵐を作った会社)の論文ですが、軽金属航空機用塗料の選定の頃の物で、もし、後の歴史の様にベンヂル繊維素が選ばれず、エチル纎維素が選ばれていたら、飴色の零戦も無かったかと思うと、少々感慨深いものがあります。

    【参考資料】
    「船底塗料」修教社書院(1942)
    「リソールレッドの生成条件」(1964)
    http://ci.nii.ac.jp/naid/130004276113

    失礼致しました。

  3. すみません、書き間違えが有りました。下記↓

    ×「船底塗料」修教社書院(1942)
    ○「塗料辞典」修教社書院(1942)

    失礼致しました。

    1. Lunaさま
      こんばんは。詳細な解説ありがとうございます。
      と云うことは、やはり青みはあるものの安定的な発色が得られないので、現存「假規117」色票は必ずしも変色によって黄色みになっただけとは限らないと云う事ですね。
      仮にエチル纎維素塗料が採用されていたら、「飴色がかりたる」かわりに「白みがかる」傾向が出るようですから、さしずめ「白粉論争」とでもなっていたでしょうか (笑)

  4. 失礼致します。
    春園燕雀さん、丁寧なレス、ありがとうございます。
    以下、また長文になってしまいますが、もう少しだけ書かせて頂きます。

     御存知かもしれませんが、雑誌「丸」2013年8月号別冊「堀越二郎零戦への道」の片淵氏の記事に、
    引用以下↓
    陸軍機の機体の日章には「飛色第10号赤色(日章用)」が使われる~(中略)~対して海軍機の日章用「赤色B2」には、飛行時に背景となる海面の色に対して目立ちすぎない「青み」を帯びた赤色顔料を開発して使っていた。
    ↑以上、
    とういう記述が有りました。しかし、リソールレッドは1899年にオーストリア人ポール・ジュリアスによって合成された顔料で、日本海軍が開発した物ではありませし、「海面の色に対して目立ちすぎない」という表現では、かなり青味を帯びた色の様に感じられますが、実際のリソールレッド(バリウム塩)は、深みの部分(底色)に青味を有しますが、見た目は普通の赤と言って差し支えない色です。実際、国会図書館配信のデジタルデータで「海軍航空機用塗料色別標準」(永続的識別子:info:ndljp/pid/1899424)と「航空機用塗料色別標準」(同:info:ndljp/pid/1899428)のB2赤色を見ても、それほど著しく青くない・・・かな?と思います。
    片淵氏は参考文献の記載を殆どしない人なので、青みを帯びた赤色顔料の根拠がどの辺に有るのかは不明ですが、氏のJ3飴色説の根幹となる旧軍機がベンヂル繊維素塗料を塗ったという資料の筆頭としては、「日本塗料工業史」日本塗料工業史編纂会編(昭和28年)という本が確認でき、
    「わが国の航空機用塗料史」
    http://angelof.web.fc2.com/subdp1.htm
    というウェッブページに、航空機用塗料の頁の内容が丸々記載されています(原文の誤字も直してある)。
    とこで、軽金属面には前述の通りベンヂル繊維素を塗ったのですが、羽布面には引続き酢酸(醋酸)繊維素、所謂ドープを使用していました。酢酸繊維素は前述の「エチル纎維素塗料に就て」にある様に、太陽光線下に曝露した時の変化がベンヂル繊維素とは異なります。これは当時の白黒写真でも、胴体のJ3灰色に対して尾翼等羽布面のJ3の色が明るいという事で確認できます。米国ファーゴ・ミュージアムの零戦21型の塗装は、残存の塗料片から、これを愚直に再現した結果の様です・・・。

    失礼致しました。

  5. 失礼致します。
    連続書き込みで申し訳ありません。
    気になった事がありますので、続けて書き込ませて頂きます。

    現存する「假規117」の色見本と日塗工見本の比較写真http://plaza.rakuten.co.jp/zerosenochibo/diary/200611040004/
    ですが、現物の「假規117」の色見本と日塗工見本が、実際に同じ場所に置かれて撮影されたのかという事が非常に気になりました。上記のウェブページでは、その情報が得られませんでした・・・。
    宜しければ、国会図書館の
    「航空機用塗料色別標準 : 日本航空機規格航格第8609 : 昭和二十年二月五日決定」
    http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001960305-00
    「海軍航空機用塗料色別標準 : 昭和13年11月26日航本第8010號決定 : 昭和17年4月10日航本第2943號改正 假規117別冊」
    http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001669987-00
    も、御覧になってみて下さい。都道府県の公共図書館の端末がら閲覧できます(御自宅のPCでは閲覧できません)。
    撮影条件によって、印象がかなり異なるのが分かるかと思います。

    失礼致しました。

    1. Luna さま
      羽布張りの動翼の色合いが異なって見える理由は、塗料の種類の問題だったのですね、勉強になりました。表面がドープで固められているので光沢の加減が異なるでも無し、何故色味が異なるのか、と云うのは謎でした。
      さて、「假規117」の色見本ですが、「零戦落穂ひろい」の見本は確かに同一環境下で撮影されたと云う根拠が無いものの、図書館端末での閲覧よりは色味の理解に役立つと考えます。
      市井の図書館のモニターは安価なTN液晶のため「赤が青には見えない」程度の再現性で、赤が青みか黄みかなどの微妙な判断の拠り所とするには危険だと思います。しかも、図書館だと普通は環境光が演色性最悪の蛍光灯だと思いますので、色を視る条件としては尚良くありません。
      仕事で色々な価格帯のモニターを比較したことがありますが、安価なものでは特に高明度・高彩度域が真っ青と云ってよいほど青みに振れているものが多く、そう云う意味では「零戦落穂ひろい」は仮に同一環境の撮影ではなくとも、著者の方が比較の上で画像を調整している分だけ、端末閲覧よりは確度が高いと思います。
      あれ以上のものを求めるなら、国会図書館に直接足を運ぶしかないかな、と思います。
      歴史群像太平洋戦史の零戦本に灰色以外の色見本も載っていれば、色々役立ったと思うのですが、残念なことです。

  6. 失礼致します。

     塗料の種類に関係無く、国産品の質の悪さという半ば風評のみで黄変の事が語られる事も有るようですが、確かに昭和13年頃の試験生産品のベンヂル繊維素の品質は悪く、最初から着色度が著しかった事が記録されています(*1)。しかし、輸入品のIG社製品においても暴光による変色は避けられない事で、黄色を通り越して茶色になってしまったJ3灰色(ち49)塗料も一概に国産品である為とは言えません(IG社製品のベンヂル繊維素について記された資料には「長時暴光すれば、稍黒味を現はす」(*2)とあります)。つまり、これはベンヂル繊維素塗料の性質であると言えるかと思います。

    確かにモニター等の閲覧環境は如何ともし難い事ですが、デジタルデータ自体は普遍の物(スキャニング・作成環境が適正だったかは別として)で、どの端末も同様のRGB値を配信してくれますから、個々の色の違いを比較するのには役立ちます。特に「航空機用塗料色別標準」の様に陸軍の塗色と同一条件で比較できるのは、ありがたい事です。その陸軍の色ですが、実は副次的にではありますが、陸軍では数値化されており、例えば、「灰緑色」は、アイプス氏比色計(*3)の硝子スクリーン赤色:22-32、緑:25-35、青緑:22-31という数値となっています(*4)。

    【参考資料】
    *1「社史」旭電化工業 (1958)
    *2「繊維素塗料」内田老鶴圃(1938)
    *3「色混合及色合法」工業図書(1937)
    *4「塗料年鑑. 昭和14年版」塗工之魁新聞社(1939)
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1246486

    失礼致しました。

    1. Lunaさま
      度々ありがとうございます。私の知らぬことばかりで勉強になります。
      昔の日本の塗料「だけ」が黄変著しかった、と云う風評はイメージのなせる業ですね。実際には同時期のドイツ機も調合や変色の加減がバラバラでまともに特定がおぼつかない、と、あちらの研究者が評してますし、こんにちの塗料も世紀が変わる頃までは屋外だと容易に黄変するのも日常的だったように思います。
      看板のペンキの赤など、あっという間に黄色や白になってましたし。

      模型の世界では何故かその普遍的な形質が忘れ去られ、戦後の黄変した色調に引きずられた模型用塗料が多い気がします。

      さて、陸軍機は全くの門外漢ゆえ、色調が数値化されていたのは初耳でした。確かに、そのデータを今日のsRGB→Lab変換まですれば、かなり良い線で物体色の修正マンセルの近似値まで落とし込めそうです。前提となる比色計の測色値ですが、これはsRGBなどに変換する方法が確立されているのでしょうか?

  7. 度々すみません、また書き間違えが有りました。

    ×アイプス氏比色計
    ○アイブス氏比色計(Ives Tint-Photometer)

    です。
    失礼致しました。

  8. 失礼致します。

    春園燕雀さん、丁寧に御返信頂き、ありがとうございます。
    御興味を持って頂きまして、幸いです。

     私としては、塗装について議論するのなら、塗料や顔料には色々な種類が有って、それぞれ特性(長所、短所等)が違う事、どんな塗料が、どんな所で使われているかという事を皆さんも知ってほしいなぁ・・・と、思うしだいです。

    私はアイブス氏比色計を使用した事は有りませんが、書籍等の情報によると、比色計(Tintmeter)は色の濃度を数量的に求める装置で、米国バーロー社製のヘス・アイブス(Hess-Ives)氏の比色計は、マグネシヤ(酸化マグネシウム)ブロックを純白とし、赤、黄、緑、青緑、青紫の5枚の硝子スクリーンを使って、対象物のスクリーンに対する色価を百分率で計測する装置だそうです。
    陸軍の試験では、3枚のスクリーンしか使用しませんので、可逆的に色を正確に復元できるかは分かりませんが・・・やはりと言いますか、世の中には奇特な方が居るもので、
    ウェッブページ「Aviation of Japan 日本の航空史」
    http://www.aviationofjapan.com/search?q=Hess-Ives
    では、復元を試みられている方がいらっしゃいます。

    失礼致しました。

    1. Luna様
      またしても興味深い情報、ありがとうございます。「日本の航空史」は確かタイ空軍の九七戦か何かを調べたとき訪問した記憶があるのですが、このようなコアな研究がされているとは知りませんでした (基本、グーグル翻訳頼みなもので、中々外国語フォーラムを読むのが骨なのです)

      ここから、「CLEARED FOR TAKEOFF」で陸海の対応色を調べて、「落穂拾い」の日塗工サンプルとの色差を比べられないものか……と辿ってみましたが、中々ネット上の情報だけでは解決しないものです。「日本の航空史」の当該記事を機械翻訳してみましたが、どのような変換方法で画像の結論に辿り着いたかは理解できず、こんな時、英語が読めればなあと思います。

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