スクラッチしたら新キットが出たので、またつくる – 続・1/700で天龍型軽巡をつくる: 序

ツィッタァをご覧いただいている方はご存じのとおり、実は昨年からスツーカと並行してハセガワの新版「天龍」「龍田」を作っている

色々未確定事項があり燕雀洞の記事にはしていなかったのだが、概ね纏まったのでスツーカと並行して連載を始めてようと思う。あ、もちろんスツーカを諦めた訳ではないので、ご心配なく (フラグ?)


まずは、新キットの概観。
以前の連載で触れたとおり、旧キットはまあ時代なりと云うか、とても大らかなつくりで、特に艦形の似たタミヤの「球磨型」が40年前とは思えぬ出色の出来だっただけに、より何とも云えぬ気分になるキットだった。

ところが、一昨年の秋に突然のリニューアル発表、時まさに、私がスクラッチを終えたその刹那である ()
新キットは切れの良いモールドが印象的な、妙高型あたりからの現行ハセガワスタンダードな仕上がりで、この勢いで駆逐艦勢もリメイクしてほしくなる出来。

折角なので、スクラッチ版と比較してみた。
ここで迂闊な事をすると私の考証の粗がバレてしまう訳だが、まあそこはそれ、答え合わせもスクラッチの醍醐味である (?)

船体のアウトラインは新キットとスクラッチ版で、とてもよく似ている。
ここは平賀アーカイブの図面のおかげで、ほぼ正解が判っているので、当然と云えば当然だ。
艦橋や上構のバランスは、多分写真からの図面起こしだと思うのだが、側面形は両者ほぼ一致。現存する「天龍型」の写真は点数の割に正横に近いアングルに恵まれているので、これもまあ、そうなるよね、と云った印象。

「天龍」スクラッチ版とハセガワ新キットの比較 クリックで拡大。船首楼平面など、恐らく私が参考にしたのと同じ平賀アーカイブの図面準拠か。

「天龍」スクラッチ版とハセガワ新キットの比較 クリックで拡大。側面形も、写真に恵まれているためプロポーションはほぼ一致。

逆に、印象が異なるのは艦橋の平面形と前檣の正面形で、これは本当にもう資料がない。艦橋については辛うじて竣工時の図面が一部残っているが、大戦時にはかなり改正されており、基部のアタリ程度にしかならない。
スクラッチ版は、羅針艦橋平面を「球磨」寄りのやや幅広に解釈したが、新キットでは旧キット寄りに解釈した細身の羅針艦橋平面としている。
前檣三脚の支脚はスクラッチ版ではメリハリをつけるため、やや開き気味かつ太目にアレンジしたが、正確を期すなら前檣三脚はキットの細身な解釈の方が正しいように思う。

「天龍」スクラッチ版とハセガワ新キットの前檣の比較 キットの前檣は全体的にトップヘビーな解釈が特徴。

前檣トップは恐らくキットも写真からの判定だと思うのだが、キットの方が横桁を長めに取っている
これは残っている写真がいずれもそれなりにパースが掛かっているので、どちらが正しいと云うより、私と設計者の好みの差のように思う。

「天龍」スクラッチ版とハセガワ新キットの船首楼の比較 これはキットを見るまで気づかなかった。写真を見ると確かにこんな形。

細部では、船首楼甲板後端のアーチ状平面の再現が目新しい。
ここは、少なくとも竣工時の公式図では直線で、私もそのように解釈していたが、確かに大戦中の写真を見るとキットが正しい
あと、1941年 (昭和16年) 仕様で第3煙突後ろに何か良く判らない構造物があり、私はフィーリングで適当なサイズの箱をでっち上げてお茶を濁していたのだが、ハセガワもほぼ同じ処理をしていたのがちょっと笑った。
これ、間違ってるのは確かなんだが、さりとて正確な形も不明なのでこうするしかないよなあと。みんな考える事は同じか。

「天龍」スクラッチ版とハセガワ新キットの「謎の箱」 これが一番無難な解釈なのだが、驚くほどよく似ている。

他は1941年 (昭和16年) 仕様に目立って気になる点はないが、1942年仕様 (昭和17年) はいくつか気になる箇所がある。
そこで、本連載では、スクラッチ時には触れなかった、戦時中の「天龍型」の考証についてフォローする意味も含め、新キットを1942年 (昭和17年) 仕様で作ってみたい。勿論、姉妹セットだ。


と云う訳で、前からちょくちょくツイッタァ上などでリクエストを頂いていた、新キット版の「天龍」「龍田」の製作である。
冒頭の発売タイミングの件にて、新キット版には思うところがない訳では無いのだが、毒を食らわばなんとやら、2隻姉妹なのに4隻並べると云う倒錯行為 (?) の始まりである。

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