2年ぶり、4隻目の天龍型 – 続・1/700で天龍型軽巡をつくる: 完

ニューキット版の「天龍型」もいよいよ完成である。

まさか、実物は2隻しかない「天龍型」の模型が、4隻も我が家に並ぶことになろうとはね ()


まずは写真から。今回の写真は、すべてクリックすると拡大できる

「天龍型」軽巡洋艦「天龍」

軽巡「天龍型」の1番艦、1919年 (大正8年) 11月に竣工。
八八艦隊計画の一環として、大正五年度計画により建造。基準排水量3,230トン。

大正期には水雷戦隊旗艦を歴任し、昭和期は水雷戦隊を離れて主に大陸方面で活動。太平洋戦争開戦時には内南洋にあり、第18戦隊旗艦として緒戦の激戦、ウェーク島攻略戦に参加。その後、1942年 (昭和17年) 8月、第一次ソロモン海海戦で同じく老兵の「夕張」と共に赫々たる武勲を上げたのち、同年12月、潜水艦「アルバコア」の雷撃で沈没。

現存する写真の大半は魚雷発射管の改正を行った1934年 (昭和9年) 以前のもので、 ハセガワの新キットも推定に基づく立体化と思われる個所が多い。今回製作した1942年 (昭和17年) 仕様も、恐らく写真ではなく、田村俊夫氏の考察を下敷きにしたものと思われる。

ハセガワ1/700「天龍」を右舷から 「天龍」を右舷から。艦尾の白塗装に錆の流れた感じがお気に入り。

ハセガワ1/700「天龍」を左舷上方から 「天龍」を左舷上方から。ディテールは大幅に弄ったが、船体基本形はキットのまま。

ハセガワ1/700「天龍」の右舷中央部「天龍」の右舷中央部。短艇はカッター、内火艇、通船とそれぞれ表現を変えてみたが、良いアクセントになったと思う。

「天龍型」軽巡洋艦「龍田」

軽巡「天龍型」の2番艦だが、竣工は1919年 (大正8年) 3月で「天龍」より早く、日本初の軽巡洋艦である。「天龍」同様大正五年度計画により建造。基準排水量3,230トン。

艦歴は「天龍」とほぼ同じ歩みで、太平洋戦争開戦時には内南洋にあり、第18戦隊に所属して「天龍」と共にウェーク島攻略戦に参加。

1942年 (昭和17年) 8月の第一次ソロモン海海戦には僅か一日の差で参戦が叶わず、同年、相方の「天龍」が戦没してからは、新造艦錬成部隊である第11水雷戦隊旗艦として主に内地にあった。
その後、1944年 (昭和19年) 3月、船団護衛任務中に潜水艦「サンド・ランス」の雷撃にて沈没。「天龍型」は姉妹揃って潜水艦の餌食となってしまう。
日本海軍初の水雷戦隊旗艦用として生まれた「龍田」は、奇しくも日本最後の水雷戦隊の初代旗艦として生を終えた。

「龍田」は「天龍」以上に写真に乏しく、大正期の写真すら鮮明なものが少ない。
特に太平洋戦争時の艦橋構造は、シルエットから明らかに「天龍」より背が高いことが判るものの、平面形や細部はよくわからない。
11水戦旗艦時代も恐らく1942年仕様からは大きな変化はなく、下段舷窓の閉塞程度で機銃や電探の増設はなかったようである。
第18戦隊時代の欺瞞波迷彩は戦隊からの指示によるため、配属替えに合わせて落とされた可能性もあるが、迷彩を落としたと確認できる資料は見つけられなかった。

ハセガワ1/700「龍田」を左舷から
「龍田」を左舷から。「天龍」は煙突と艦橋がほぼ同じ高さだが、「龍田」の艦橋は煙突より明らかに高い。

ハセガワ1/700「龍田」を左舷上方から「龍田」を左舷上方から。遂にキットでも再現された縦敷きリノリウム。ただ、「長良」や「球磨」を参考に主砲周りへ目地を追加。

ハセガワ1/700「龍田」の艦橋付近 「龍田」の艦橋付近。人を乗せたのは初めてだが、過去作に比べてひときわ「活きたフネ」の雰囲気が出たように思う。

連載のまとめ

主要参考文献

基本形や開戦時までの仕様については、スクラッチ版の資料一覧を参照されたい。本稿では、1942年仕様に関しての資料のみをまとめる。

  • 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2』学習研究社、2005年

    1942年仕様を作るうえで最良の資料。
    メイン記事の一本として「天龍型」の戦時の武装変遷がまとめられており、ハセガワのキットは恐らくこの記事を下敷きとしていると思われる。田村俊夫氏による訓令と当事者証言を基にした綿密な考証がなされており、この記事を起点に各要素の検証をしてゆくと良いだろう。
    古書流通のみだが、おおむね定価の2,000円前後で入手可。

  • 『一億人の昭和史 [10] 不許可写真史』毎日新聞社、1977年

    恐らく現状唯一の、戦時中の「天龍」の艦橋付近を収めた写真が収録されている。
    表題の通り、艦艇関連の書籍ではないので模型資料としてこのためだけに買うほどのものではないが、古書流通で数百円くらいと入手が容易で、読み物として面白いので手に取ってみては。

参考ウェブサイト

以上、著者・作者名など、敬称略。


さて、スクラッチ版が完成してから約2年、あれから新キットが発売され、まさかそれを自分が作ってホビージャパン誌に掲載されるとは夢にも思わなかった。

ハセガワ1/700「天龍」の右舷中央部スクラッチ版と新キットで「天龍型」4隻そろい踏み。一応船体だけは確度の高い図面があるとは云え、面白いほどソックリである。

当初は5,500トン級の練習くらいの気持ちだったが、ずっと資料を追い、模型を触り続けた結果、今では軽巡の中でもかなり思い入れのある2隻となった。
5,500トン級に比べると配置など垢抜けない部分はあれど、黎明期ならではの繊細なラインで構成された華奢な姿は「鉄の城」ならぬ「硝子の城」のようである。
今や誰しも労せずしてこの美しいフネを手中にできるので、ぜひ一度作ってみて欲しい。

「2年ぶり、4隻目の天龍型 – 続・1/700で天龍型軽巡をつくる: 完」への3件のフィードバック

  1. こんにちは由良之助です。天龍型編の完結おめでとうございます。
    現物は既に拝見していますが、その際『画竜点睛を欠く』と感じたのは『海面情景上でこそこの作品の良さ(特に色彩)は最大限発揮されるはず』ということでした。今回とうとう海面が付き、「水色」などではなく濃いブルーでキマッており大満足の画像となりました。
    とくにどの場所と特定はされていないようですが、私は一枚目の画像を見てショートランド泊地から勇躍出撃する姿を妄想しました。しかしよく見ると艦は停止中で、欺瞞波に惑わされていたのでした。
    欺瞞波のデザインも写実系と図象系がありますが、このぐらいの距離感ですと写実系の効果は大なようです(単に私が粗忽者なだけかもしれませぬ)。

    現在「初春/有明型」に取り組まれているそうで、大変楽しみです(『5500トン級の練習・・』という文も気になりますが)。六隻一括りにされがちなクラスですが、その出自からかなりの差異がある筈で、その解明が期待されます。

    1. こんばんは。先日はおつかれさまでした。
      2室に別れていたので、あまりお話しできなかったのが残念でしたが、中々興味深い情報が得られて良かったです。
      鉄道方面は、ボークスに行ったついでに情景用コーナーを覗くくらいで全くの門外漢なもので。
      また折を見て、試用レポをこちらかツイッタァで上げようと思います。

      天龍の写真は御推察の通り、当時行動していた南方を意識してライティングと色調補正を行っています。
      生で見ているとそれほどでもないのですが、写真をサムネイルで見ていると確かに白波に見え、目視照準を見誤らせるには意外と効果的だったのかもしれないと思いました。

      有明型は、地味に船体の相違が多く、弄っていると「これはキットでないだろうなあ……」と云う感じがひしひしと (笑)
      それではまた。

  2. こんにちは由良之助です。先週の「沼の会」はおつかれさまでした。私は工作会には行けなかったので「三笠」の完成の瞬間に立ち会うことはできませんでしたが、出来立てホヤホヤを拝ませていただく機会に恵まれました(まだ残工事があったようで、就役前状態?)。

    そもそも沼の会は春園燕雀様に誘っていただいているのですからその場でもっとくいつけばよさそうなものですが気後れして(別部屋は重鎮揃い)結局初参加組+呑めない組で卓を囲んでしまいましたが皆様話のネタが豊富でおおいに楽しみまして、このような集まりへのお誘いに深謝する次第です。
    また、交換会では私供出の「明石」を引き当ててくださり、佳きところに貰われた・・と思っておりましたが出戻りだったようで・・・。
    成仏させてもらいたいとも思いますが、その瞬間アオシマが新作で出すような事態も起こりうるような・・・。
    他にお渡ししたモノも含め塗り箱に風呂敷包みでお持ち帰りとは『和装のモデラー』の異名は伊達ではありませんでした。

    「三笠」の感想はブログに上がったらコメントさせていただきますが、このたび「蔦級」という文言が載っている本を見かけたので樅型駆逐艦の項にコメントしておきます。

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