造船所毎に異なる舷外電路 – 1/700で夕雲型駆逐艦をつくる: 2

今回は「夕雲型」の舷外電路の話。写真に恵まれない本級に於いて、地味ではあるが有力な識別点なのが舷外電路。今回は写真や図面から各造船所毎の舷外電路パターンの法則を見る。


まずは、前回の相違点一覧を再掲する。

「夕雲型」新造時の相違点・装備状況とキット対応表 (機銃を除く)

スマートフォンでは表組が見づらいため、画像化したものを添付する。

 舷外電路艦橋頂部
測距儀
前檣の電探と
艦橋後部の電探室
1番煙突側面
の汽笛配管
後檣の形状艦尾甲板と
爆雷軌道
夕雲舞鶴前期小: N17電探無し: 夕雲D4舞鶴前期?幅広三脚:
夕雲D5
軌道無し:
夕雲/早波
E4
巻雲藤永田藤永田/浦賀
風雲浦賀
長波藤永田狭小三脚:
早波/朝霜
K2+K3
巻波舞鶴前期不明舞鶴前期
高波浦賀藤永田/浦賀
大波藤永田?
清波浦賀?
玉波藤永田?
涼波浦賀?22号+外付電探室?:
早波J2+J1・K4+K5
藤波藤永田?
早波舞鶴中期大: N1622号+外付電探室:
早波J2+J1・K4+K5
舞鶴後期
濱波
(浜波)
軌道装備:
早波/朝霜F2+N20
沖波舞鶴後期大?: N1622号+電探室内包:
朝霜G1+G3-5・K4+K5
舞鶴後期?
岸波浦賀?22号+電探室内包?:
朝霜G1+G3-5・K4+K5
藤永田/浦賀?
朝霜藤永田大: N1622号+電探室内包:
朝霜G1+G3-5・K4+K5
藤永田/浦賀
早霜舞鶴後期舞鶴後期
秋霜藤永田?大?: N16藤永田/浦賀?
秋霜浦賀大: N16藤永田/浦賀

上記のうち、赤太字は3種のうち1種のキットにしかない部品を含むもので、赤字は3種のうち2種のキットにしかない部品を含むもの
舷外電路と汽笛配管については赤字がキットの仕様で、他は改造・自作が必要となるもの。

例えば、「夕雲」のキットをそのまま組むと「夕雲」~「風雲」の竣工時に近い姿となり、中でも舷外電路と汽笛配管の形が一致する「巻雲」が最もキット仕様に近い艦と云える。

造船所別、舷外電路の違い

舷外電路は基本的に造船所毎にパターンが異なり、キットの形状は藤永田造船所の形式である。「夕雲型」では藤永田造船所製が19隻中7隻と最大勢力を占めており、キットの表現は妥当な選択のように思う。
キットと異なる形式の電路は以下のとおり。

「夕雲型」の舷外電路
識別点は船首楼後端の段落ちの処理と、艦尾周りの処理方法。

藤永田形式で特徴的なのは艦尾付近の緩やかな垂れ下がりで、キットの分割線にもなっている。藤永田製第1艦の「巻雲」と末期の「朝霜」でパターンが共通しており、後述の舞鶴型のような建造時期による艦毎の相違はないと思われる

「長波」: 1942年6月
「長波」: 1942年6月
キットの仕様である藤永田造船所製の艦。左舷後部スキッドビーム前に艦内引込部がある。

舞鶴工廠製の6隻は時期により恐らく3形式に分かれる。便宜上、前期・中期・後期と呼ぶが、前期は「夕雲」と「巻波」が該当するものの両者で船首楼後端の処理がやや異なり、しかも「夕雲」は図面のみで写真が入手できなかったため、本当に「巻波」と異なるのかも不明。

「夕雲」の舷外電路: 1941年
「夕雲」の舷外電路: 1941年
「巻波」: 1943年6月
舞鶴前期組はとにかく全体像の判る資料がなく、多分に推定を含む。

舞鶴中期型に該当するのは「早波」と「濱波 (浜波)」。船首楼後端の段落ち部分がシンプルになったが、藤永田型と異なり側面のエッジラインではなく側壁後端に沿っているのが特徴。

「早波」: 1943年7月
「早波」: 1943年7月
舞鶴中期は船首楼後端の処理がシンプルになった。引込部の位置は藤永田と同じ。

舞鶴後期型に該当するのは「早霜」。藤永田型と同様、船首楼後端の曲がりがエッジラインに沿うようになったが、藤永田に較べるとエッジからの距離が広め。まあ、1/700なら手間対効果を鑑みてキットのままでも良いかも。艦尾は全形式中唯一の全周が平坦なままのタイプ。

舞鶴で分類に悩むのは「沖波」。写真を見つけられなかったのだが、竣工時期が「濱波」と「早霜」の丁度中間で中期か後期か、はたまたどちらとも違うのか、判断の材料がない。個人的には、設計を改めるなら「綾波型」のように命名法則が変わるラインを境にしそうな気がするので表では他の「~波」に合わせて「中期型?」とした。

10月3日追記 老猿氏より「沖波」についてのコメントを頂き、学研「陽炎型駆逐艦」の写真を確認した。確かに後期型の特徴が写っており、分類を後期型に変更する。

「早霜」: 1944年2月
「早霜」: 1944年2月
舞鶴後期は艦尾のパターンが全形式中で最も単純。

最後は浦賀型。藤永田と同じく浦賀の1隻目「風雲」と最終艦「清霜」に同じパターンが確認できるので、「風雲」~「清霜」までの浦賀船渠建造艦はすべて同一パターンと思われる。写真の見つからなかったものは「沖波」同様「?」マーク付きとはしているが、「沖波」よりは確度が高い。 形状的には、船首楼後端が舞鶴後期と同じで、艦尾が舞鶴前中期と同じと云う、舞鶴各型の折衷のようなパターン。

「風雲」: 1942年3月
「風雲」: 1942年3月
舞鶴後期の船首楼は順番的に浦賀型の影響を受けた?

個人的に、舷外電路は模型的に見栄えがする訳じゃなし、あまり拘っても面白くない部分だとは感じている。だが、冒頭に触れたとおり、こと「夕雲型」に於いては写真の乏しい中で有力な識別点であり、作り分けポイントとしては手を付けやすい。

最も手軽に再現できるのは舞鶴後期で、船首楼の差異に目を瞑り、艦尾の電路を水平に直すだけでそれらしいものになる。キット自体の出来がきわめて良く、他に困難な改修点もないので、駆逐艦の作り分けに挑戦するにはハセガワの「夕雲型」がうってつけだと思う。


さて、本当は冒頭の表の中身を1回で終わらせるつもりだったのだが、物量的に到底無理 () 流石に全項目に1回ずつ割くと限が無いので纏められるとこは纏めたいが、出来るだけ読者の方で再検証できるように、根拠とした写真や図面は多めに提示するようにしていこうと思う。


写真引用元

  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、628-630頁
  • 『日本駆逐艦史 世界の艦船 1992年7月号増刊』海人社、1992年、117頁
  • 『海軍艦艇公式図面集』今日の話題社、1992年、142頁

全て敬称略

「造船所毎に異なる舷外電路 – 1/700で夕雲型駆逐艦をつくる: 2」への2件のフィードバック

  1. こんにちは、老猿です。

    沖波についてですが、海防資料研究会さんから発行された同人誌「マニラの残照」に着底した沖波の写真があります。
    上甲板と船首楼甲板のちょうど中間あたりに海面がありますので船首楼の舷外電路の下がり方が判り、沖波は舞鶴後期のようです。
    ただし、艦尾はわかりません。
    また、学研の歴史群像シリーズの「No.19 陽炎型駆逐艦」にある沖波写真集の最初の1枚でも舷外電路の下がりはじめが確認できます。

    なお、前部煙突後方の機銃台の支柱は沖波と浜波が同一形状のようです。
    参考になれば。

    1. 老猿さま
      お久しぶりです、大変有益な情報をありがとうございます!
      学研本は手元にあったにもかかわらず、完全にスルーしておりました。
      手元資料でも確認できましたので、記事中の表記を「舞鶴後期」へ訂正しました。

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