模型と終活、そして商業モデラーに必要な資質について

どうやら私は、あと10年ほどしか生きられないようだ。今から遺書をしたためるつもりはないが、今まで機を逃し書けずにいた幾つかの事柄について筆のはしる儘のこしておこうと思う。


なにゆえあと10年?

10年近く前、家庭の事情で東京から鹿児島に居を移した頃、状況の逼塞感から鬱を患い精神科を受診したとき自閉スペクトラム症(ASD)と診断された。べつにその時突然そうなった訳ではなく、親の無関心や、あるいは前世紀における自閉症に関する情報の少なさから生まれ持った障害が見過ごされていたのである。

で、スウェーデンアメリカの統計調査によれば、ASD患者の寿命は健常者に比べ明らかに短いと云うデータが示されている。

2017年のアメリカの調査では平均死亡年齢が36歳で、同国の平均より36歳短い。それに照らせば現在私は49歳なので既に御長寿ASD患者である
2018年のスウェーデンの調査では同国の平均寿命70歳に対してASD全体では54歳、低機能ASD(知的障害のある、所謂「古典的自閉症」)では40歳、高機能ASD(知的障害のない、かつて「アスペルガー症候群」とよばれていたもの)では58歳と、平均より12~30歳短い。2年ほど前に精神病院に入院した折、知能検査を受けたのだが私の場合は分野によって知的障害の基準となる70を下回っており一概に高機能側とは云い難いのである。ゆえに平均より12~16歳は短命なのではと考えている。日本の男性平均余命は80歳なので、概ね60代半ばにお迎えが来ると思って良かろう。

典拠データが示されておらず詳細は不明だが、本邦の統計でも平均より12年ほど短いらしく、70の壁を超えられる可能性は低そうだ。そして、死の瞬間まで自らの意思で行動できるとは考えづらいので、健康寿命で云えば精々あと10年ほどであろう、と云う見積もりなのである。

障碍者割引
障害者手帳があると、大抵の映画は千円で見られる。障害者ならではのささやかな楽しみだ。

毎度のことながら前置きが長くなってしまったが、私と面識のある方に残りあと10年、と云うと決まって「まだそんな歳じゃないでしょ」と混ぜっかえされて話が進まないので必要な前提情報なのである。

そうだ、終活しよう

気が付けば、前回の更新から1年が経とうとしている。ツイッタァの方でたまに近況を流していたのだが、作例製作が佳境にもかかわらず前述の障害に起因する体調の悪化により、つぎ込めるリソースをそれに全振りせねばならない事態に陥っているのだ。

そこにきて示されたのがこのタイムリミット。これはどうにも死ぬまで積みが片付く気がしないぞ、と思い立ち、夏頃から積みを整理し、仕事帰りに駿河屋に持ち込んでいる。

ガンプラや古いコトブキヤキットは仮組せずに積んでおけ

コロナ禍以来、転売屋の横行によりガンプラの中古価格が高騰しているのは皆様ご存じだろう。未開封であれば大抵は専門店で定価以上で買い取って貰えるし、よしんば積んだまま死んでしまっても町のリサイクルショップですら良い値段で売れるので遺族もニッコリだ。ただ、パーツを切り離してしまうと途端に査定が下がるので、本腰入れて作る前に惰性で仮組だけ、と云った行為は出来れば避けたい。決着をつけるなら箱を開けてから一気呵成に、だ。

意外に買取価格が良かったのが昔のコトブキヤキットで、自社版権物以外は再販が稀なため古いキットでも定価を超える価格で買い取ってくれる。ただ、これは町のリサイクル屋では値が付かない恐れがあるので、出来れば自身の目の黒い内に専門店で売り払った方が良かろう。

スケールモデルは積まずに作りたいときに買え

対して、元の価格の割に殆ど値段が付かなかったのがスケールモデル。特に現行商品は状態の良いものでもほぼ捨て値買取になる。絶版商品は多少査定がマシになるが、私が処分した中では定価数千円でも買取が千円を超えるものは稀だった。

スケール物の積みで悲しいのは、いつか作ろうと思って買い揃えていたものでも、積んでいる裡により良いキットが発売されて結局積みが無駄になるケース。私の場合、タミヤの腰の重さから存命中のリニューアルはまず無いだろうとコツコツ集めていた5500トン級巡洋艦が、まさかのフジミから新キットが発売されたうえ、更にはヤマシタホビーも開発を発表、こうなってはもうラインナップで重複したものは敢えて作る機会も無いだろう。

フジミの多摩
艦NEXT版の多摩。ながらく積んでいたタミヤ多摩はお払い箱になるかと思ったが、結果的にミキシング材料として成仏できた。

特にデカールを含むキットは経年で割れてしまうと更に査定が下がってしまうため、向こう数年は作らないな、と思うような詰みキットは思い切って売り払っておき、着手のタイミングでキットを選び直すのが良いのではないか。但し、輸入キットに関しては円安傾向が留まる気配がないため、国産で新キットが期待できないようなアイテムであれば温存しておいた方が良いかもしれない。特にウクライナ製のキットは情勢的に再販の見通しが全く不透明である。

積んだまま死ぬとき、どう想うか

とまあ、つらつらと非情な事を書き連ねたものの、未だ処分しきれないキットが100を超えている。近年のペースで年間4~5作と換算しても10年で50作、つまり積みの半分以上は作り切れない公算が高い。今際の際、積んだまま作り切れなかったキットを想って私は後悔するだろうか、或いは思い入れのあるキットに囲まれて安心を得るだろうか。今はまだ想像がつかないので、一旦処分の手は止まっている。

少なくとも家族が居る方は、出来るだけ迷惑が掛からないように減らしておくに越したことは無い。先年、岳父が他界したのだが、物置に大量に骨董を遺しており、誰も目利きが出来ないので妻が少しずつフリマサイトで売っている。門外漢にとってはそもそも「これが何なのか判らない」と云ったことは往々にしてあり、模型でも一品ずつの目録を、とまではゆかずとも、せめてカテゴリーごとの分類と主要な処分先などは紙にして残しておいた方が残された者は助かる筈だ。

積みに関してはある程度目途が立ったが、資料や完成品の整理についてはまだ手を付けられていない。これも折を見て記事に残しておこうと思う。

商業ライター=技術力、ではない

オフ会などで作例ライターをしている、と自己紹介すると「ほう、お上手なんですね」と云われることがあるが、商業ライターにとって製作技術はあるに越したことは無いが必須要件ではない、と考えている。
私の思う商業ライターにとっての大事な要素は、お題となったキットの「何を読み手に伝えたいか」を明確に出来ることと、完璧を目指さず時間対効果の高いラインでバッサリ割り切れること、の2点である。

かつてインターネットの無い時代、模型雑誌はキットの評を行うレビュー媒体であると共に、上級者として目指すべき到達点を示す存在でもあった。だが、インターネットで誰しもが作品を発表できる今、雑誌作例以上の超絶技巧を用いた作品は枚挙に暇がないほど溢れている。むしろ、テストショットを用い〆切までの納品が求められる新キット作例などでは、時間を存分に掛けられる分だけ読者側の方が優れた作品を発表しているのではないかとすら思える。

10年前、ホビージャパン誌編集の望月氏からお誘いを受け、初めてお話しした時に印象に残っている言葉がある。
「今の時代、語弊を恐れず云えば『ただ上手いだけの人』なんてインターネット上に溢れてるんです。そして作例もあまりに超絶技巧が過ぎると読者がついてこれなくて引いてしまう、だから『上手い下手』以外の視点で発信できる人が必要なんです」
なるほど、世の中上手い人がごまんと居るのに、何故私に白羽の矢が立ったのか腑に落ちた。

当時の私は、「天龍型巡洋艦をスクラッチしたら、完成した途端に新キットが出た人」として一部好事家の話題に上っていた。ようはキット仕様に沿って綺麗に仕上げるのではなく、新キットと云う依り代のない状態から天龍型の形状を咀嚼しようとしていた者によるディープな視点が要るのだなと。

ハセガワの龍田
記念すべき商業デビュウ作の「龍田」。スクラッチ版では触れなかったソロモン海海戦当時の兵装配置や、戦時日誌に記された艦首尾の欺瞞波迷彩など、私ならではの視点でアプローチできたと思う。

これは極端な例だが、もっと普遍的な切り口であれば、「如何にキットの美点を見つけ、そこを際立たせるか」などは新キット作例ととても相性が良い。例えば細密なモールドが売りのキットであれば追加工作を控えめにしてモールドが引き立つような塗装表現をし、最新の考証が売りのキットであれば従来のキットから変化した部分はどこなのかと云うのを旧キットを買わずとも判るように解説する、と云った具合である。

もし、作例ライターに興味があって、技量が最大の懸念となっている方が居たら、臆せずアプローチして見るといい。いま必要なのは、ただ上手い人ではなく、自分の視点・自分の言葉で作品を作り、語れる人だ。

しかし、最低限の技術は要る

ところで、いま現在ピットロードの「鵜来型」をホビージャパン誌の作例として製作中なのだが、本作を以て商業ライターを引退しようと考えている。理由は明快で、誌面に耐えられる最低限のクオリティに収めるにも余暇のほぼ総てをつぎ込んでなお時間が足りぬほど老いてしまったからだ。
元々、速報性より資料性重視の保存版を目指した作例コンセプトなので時間が掛かって良いと望月氏には云われているのだが、発売から2年近くも経ってしまっては本来役立てて欲しい層は粗方キットを組み終えてしまっているだろう。もし自分が読者の側なら、遅くとも発売後3か月くらいまでには記事が読みたい。

もはや、「読者としての私」が求める質の作例と記事を、「商業ライターとしての私」は生み出せない。
特に鵜来型の記事を期待しておられるホビージャパン誌の読者の方々には本当に申し訳ないと思っている。肉体が衰え、目が霞み手が震えて精度の出せない今の私では、1~2ヶ月の納期では素組すら儘ならないのだ。

奇しくも、来る2026年は私がホビージャパン誌の「天龍」「龍田」の作例で商業デビューしてから丁度10年だ。この10年、アマチュアの立場では出来なかった経験を色々させて頂き、モデルアート誌ではハセガワの「夕雲」で表紙を飾ることもできた。そして、艦船では死ぬまでに決着をつけたいテーマであった北方迷彩の「多摩」を潤沢な時間と予算を使ってホビージャパン誌に発表できた。
商業ライターとして思い残すことは無い。昔は煙たがられ肩身の狭かった考証系記事も、今やアルセノ氏こと瀬野有史氏をはじめとした有能な後進が紙面を賑わせている。私はまた読み手の側に戻るべき時だ。

ピットロードの鵜来型
今現在、まだ作例は仕上がっていないのだが、年の終わりと云う節目で諸々の「終わり」について一度語っておきたかったのだ。これで心置きなく作例作業に戻れるというもの。

「模型と終活、そして商業モデラーに必要な資質について」への1件のフィードバック

  1. こんにちは由良之助です。
    年の瀬のお知らせには驚かされましたが、まずはお疲れさまでしたという言葉しかありません。
    祝意のコメントをこちらに投稿してからそんなに経っていたのかという思いもありますが、あっという間の十年だったとも思えます。
    燕雀洞の記事の如くもっと自由に書いてもよいのではと感じておりましたが自らが読者となる場合に読みたい記事を追求されていたようで、職業意識に誠実に向き合っておられたのでしょう。
    苦労が偲ばれますがその思いは確実に読者に届いていたでしょうし、自らやりきったと感じられてこその決断であると信じます。

    後継者指名とも言うべきコメントがありましたが、彼の人は春園燕雀様の挙げられた条件は備えていて(ご当人の自認はモデラーとしては凡人だそうですがあの模型部は中央値がおかしい)後に続く存在のひとりである事は間違い無いでしょう

    ライターを退かれたとしても燕雀洞が終わる訳では無し、今後も末永いお付き合いが続くと信ずる所存です。

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