駆逐艦「藤」元乗組員の所蔵写真から、模型的ディテールを読み解く: 前篇

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駆逐艦「藤」元乗組員の所蔵写真から、模型的ディテールを読み解く: 前篇前回触れたスケモ祭りは、結局、時間切れで完成ならず。
やはり私は駄目な人だなあ。
さて、今回はそんな駄目な人の元に送られてきた、数葉の写真について。


ひと月ほど前の、6月初旬、このブログの読者の末廣平八郎さんからメールをいただいた。
なんでも、末廣氏の御祖父様が、「蔦型」の「藤」に乗艦されていたらしく、当時の写真が手元にあるので模型製作の参考にして欲しいとのこと。

いずれも、著名な出版物には掲載されていないと思われるもの。
ネット上では数年前に、「桜と錨」氏の「海軍砲術学校」の掲示板に掲載されたことがあるようだ。
こちらで再掲しても構わないと末廣氏に快諾いただいたので、今回は写真をご紹介するとともに、模型資料的な面から解説を加えていきたいと思う。

頂いた写真のスキャンは、流石に80年前の物だけに退色が激しいので、細部が見やすいように階調を補正したものを併せて掲載した。
補正の基準としては、モデルアート社の「軍艦の塗装」にて、呉鎮守府所属艦の塗り色が修正マンセル値N4.5とされていたので、艦体色の中央値が概ねその程度の明るさに見えるようにした。


推定1930年 (昭和5年) 頃の、台湾、基隆港に停泊する第一水雷戦隊 (原版)


推定1930年 (昭和5年) 頃の、台湾、基隆港に停泊する第一水雷戦隊 (補正後)

推定1930年 (昭和5年) 頃の、台湾、基隆港に停泊する第一水雷戦隊 (以下、「一水戦」)。
(上が原版、下が階調補正したもので、いずれもクリックすると元のサイズで表示。以下、全て同じ仕様。)

最初の写真は、台湾の基隆港に停泊中の一水戦ほか。
駆逐隊の組み合わせと、前後する年の駆逐隊序列 (煙突の識別帯にて: 水雷戦隊内の駆逐隊序列は年次で変わることが多い) の関連性、そして左端の第一駆逐隊 (以下、「一駆」) の行動時期から、恐らく1930年 (昭和5年) 春頃の撮影と推定。

以下、概ね同時期の撮影と思われるが、末廣さんの方でも詳細は不明とのこと。
よって、煙突の識別帯のある写真以外は別時期の撮影の可能性もあるので年次不明とした。

左から、第一航空戦隊所属の一駆、次いで一水戦の第十六駆逐隊 (「朝顔」「夕顔」「芙蓉」「刈萱」の4隻。以下、「十六駆」) と第十五駆逐隊 (「萩」「薄」「藤」「蔦」の4隻。以下、「十五駆」) 、その右の商船型2隻と駆逐隊 (煙突の帯が1本に見えるので恐らく第十三駆逐隊) は不明で、一水戦旗艦の「那珂」、第三戦隊の軽巡「川内」、次の商船形状の艦は不明で、右端は同じく第三戦隊の軽巡「長良」。

流石に遠景過ぎて模型的ディテールは読み取れないが、駆逐艦や軽巡の天幕の張り方の参考になると思う。
各艦共通で、発射管のウェルデッキ上には必ず天幕が掛かっているのが興味深い。

推定1930年 (昭和5年) 頃の、第十六駆逐隊と第十五駆逐隊 (原版)

推定1930年 (昭和5年) 頃の、第十六駆逐隊と第十五駆逐隊 (補正後)
推定1930年 (昭和5年) 頃の、第十六駆逐隊と第十五駆逐隊。

2枚目は恐らく同時期の撮影で、手前の十六駆に注目。
こちらは左から、第3戦隊の「川内」か一水戦旗艦の「那珂」、十六駆の「朝顔」「夕顔」「刈萱」「芙蓉」、十五駆の駆逐艦「藤」「薄」「蔦」。
十六駆の各艦の、2番煙突直後の烹炊所煙突の高さの違いが見て取れる。
また、芙蓉の舷側艦名表示から中央船体のタンブルホームの上すぼまりの傾き具合がわかる。


年代不明の、駆逐艦「藤」のウェルデッキ~艦橋基部左舷 (原版)


年代不明の、駆逐艦「藤」のウェルデッキ~艦橋基部左舷 (補正後)

年代不明の、駆逐艦「藤」のウェルデッキ~艦橋基部左舷。

つづいて、艦橋周り2葉。
1枚目は前部発射管前での集合写真、幹部の方々の蝶ネクタイが御洒落。
甲板や発射管は人物に隠れていてほとんど見えないのだが、頭上を通る伝声管の布巻きの感じがよく判る。
また、羅針艦橋の床裏の補強の入り方が明瞭に写っていたり、乗組員の方の頭の大きさと比較すれば判るように、2層目の窓が一般船室用の窓に比べて大きめ (森恒英氏の「日本の駆逐艦」によると、駆逐艦用の舷窓は、最大でも海図室などの300mm径とされているが、一般的な成人男性の頭蓋骨の高さを24~25cmとすると、もっと大きい窓に見える) なことも判るなど、見どころは多い。

推定1928年 (昭和3年) ~1930年 (昭和5年) 頃の、駆逐艦「藤」の艦橋基部 (原版)
推定1928年 (昭和3年) ~1930年 (昭和5年) 頃の、駆逐艦「藤」の艦橋基部 (補正後)

推定1928年 (昭和3年) ~1930年 (昭和5年) 頃の、駆逐艦「藤」の艦橋基部。

2枚目の短艇橈走 (なんて読むんだろう?) の表彰幕の方は、艦橋基部のディテールは勿論、甲板から生えている吸気筒基部と思しき円筒が白っぽく塗られているのも興味深い。
また、リノリウム押さえが、単純に首尾線と直交する向きに貼られているだけではないのも注目。


さて、末廣さんから送っていただいた写真はあと数枚あるのだが、写真をできるだけ大きく見せるために記事が長くなってしまったのと、一応解説を書くにあたって裏を取る時間も必要なので、今回はここまでで、前篇とさせていただきたい。
近日中に、後篇を掲載する予定なので乞うご期待。
どこかから、どうせ来月だろ、という声が聞こえた気が……。

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