天龍と龍田の相違点を検証する: 後篇 – 続・1/700で天龍型軽巡をつくる: 2

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前回の記事では、ハセガワの新キットで再現された「天龍」と「龍田」の差異について検証した。

今回はそれに引き続き、キットでは省略された差異について考えてみようと思う。思いの外、省略点があるのだが、通して検証してみると、そこにメーカーの設計意図がおぼろげながら見えてきた気が。


さて、まずは、私の気づいた限りで、キットで省略された両艦の違いは以下の通り。

  • 1番砲盾波除鈑の有無:「龍田」のみ装備
  • 開戦時の舷外電路の有無:「龍田」のみ装備
  • 前檣トップの見張り台の有無:「天龍」のみ装備
  • 防雷具揚収ダビットの位置:「天龍」は防雷具の前で「龍田」は後ろ
  • 4番砲盾の形状:「龍田」のみ後端が斜めに切り欠かれている
  • 爆雷投射機の数:「天龍」は2基で「龍田」は1基 (異説あり)
  • 艦尾左舷の排水樋?:「天龍」のみ装備

以前のスクラッチ版で検証した個所もあるが、今回は新キットをベースにあらためて整理してみよう。

1番砲盾波除鈑と舷外電路の有無

これは写真資料はなく、文書記録で確認できるのみである。
「歴史群像 太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2」(以下、「艦艇史2」) の田村俊夫氏の考察に詳しいが、開戦直後に出た工事訓令の内容で、「天龍」のみに波除鈑と舷外電路の工事指示[1] [2]があり、逆説的に「龍田」は開戦時既に、それらを装備していたと思われる。

その後、1942年 (昭和17年) の工事記録から「天龍」への舷外電路工事は確認できる[3] ものの波除鈑の工事記録は無く、こちらは戦没まで装備されなかった可能性が高い。

キットでは両艦とも波除鈑なし、舷外電路ありの状態となっている。
よって、「龍田」を製作する場合は1番砲盾に波除鈑を追加「天龍」を製作する場合は開戦時仕様のみ舷外電路を切除すると良い。

「龍田」の主砲波除鈑 工作自体はプラペーパーを切って貼るだけ。簡単な割にアクセントとして効果的なのでお勧め。

前檣トップの見張台の有無

前檣トップ中ほどの見張台は、1941年 (昭和16年) の写真だと「天龍」のみ確認できる。[4] [5]
「龍田」の場合、単檣時代の写真のみで確認されるので、三脚化の際に撤去したのではないだろうか。
ただし、いずれも不鮮明な写真のため、キャンバスを外した状態で踏み板が背景に溶け込んでいるだけの可能性も提示しておく。

「天龍」と「龍田」の前檣見張台: 1941年 (昭和16年) この時期の両艦は複数の写真が残っているが、いずれもこれと大差ない不鮮明さなのがつらい。

また、1942年 (昭和17年) 仕様のパーツとして「球磨型」のように短縮されたトップ檣が入っており、こちらでは両艦とも見張り台が撤去されているが、私は短縮自体が無かったのではないかと推測している。
この件については、別途、1942年 (昭和17年) の改修工事についての別稿を設ける予定である。

キットでは、両艦とも見張台がモールドされているので、「龍田」の場合は見張台を撤去

防雷具揚収デリックの位置

1942年 (昭和17年) に探照燈が移設されてくるまで、1、2番煙突間の缶室吸気筒天蓋には防雷具 (パラベーン) 置き場があった。そして、その揚収用に小型のデリックが備え付けられているのが複数の写真から判るが、キットではデリックが省略されている

「天龍」と「龍田」の防雷具揚収デリック 両艦とも比較的早く装備されており、昭和に入った頃には確認できる。

このデリックの位置が2隻で異なり、「天龍」は吸気筒の前に柱が、「龍田」は後ろに柱が立っている。[6] [7]
その後、1942年 (昭和17年) の工事により防雷具の置き場所が変わり、デリックも併せて移設されたと思われるが、裏付ける資料や写真はない。
詳細は前檣同様に、1942年 (昭和17年) の改修工事についての別稿で触れる予定。

4番砲盾の形状

今回挙げた相違点で最も謎なのが、「龍田」4番砲砲盾の形状。
側板後端が斜めにカットされているのだが、意図や用途は全く不明で、しかも他艦で同様の形状の盾も見当たらない。

「龍田」の4番砲砲盾 最初はレンズによる歪みかと思っていたのだが、並べてみると、どの写真でも明らかに一般的な砲盾と形が違う。[8] [9]

キットではこの違いは再現されず、全て同じ盾が用意されている。
加工自体は単純に切るだけなので「龍田」の4番砲のみ、上掲の写真のようにカットしてやると良い。
完全な推測となるが、三年式14cm砲で単装型かつ砲盾装備の艦としては、「天龍型」は最初期のものだ。ゆえに、幾つか試作されたであろうプロトタイプの砲盾の内、採用はされなかったが実用上支障のなさそうと判断されたものを、波浪の影響の少なそうな4番砲に装備したのではないだろうか。

爆雷投射機数の相違

これも写真が無いが「艦艇史2」記載の「龍田」元乗組員の証言によると、「龍田」ではキットのような片舷投射機は左舷向きに1基のみ[10] だったらしい。
工事記録や一般計画要領書など、公式資料にそれを裏付けるものが見つけられなかったが、複数の元乗組員の方が同様の証言をしており、1基のみだった可能性は高いと思う。
キットでは、「龍田」も「天龍」同様に左右各1基を前後に並べている。
「龍田」の場合は前後いずれかの投射機を切除し、左向き1基のみとする。前後位置については特定できる資料がないため、モールド再生の都合に合わせて決めてしまっても良いと思う。

「龍田」の爆雷投射機配置 今回は見た目に変化の出る1基説を採用。位置は元モールドの内、前方のものを踏襲。
根拠としては、機雷敷設軌条と距離がとれる分、操作員が動きやすいのでは? と云った程度。

艦尾左舷の排水樋?

「天龍」のみ、竣工時から一貫して左舷後部に4本の排水樋状の何かが付いている。
ただ、排水樋にしては下へ流れる汚れが目立たず、補強材にしては場所や形状が半端なうえ竣工間もない時期から確認できるために考えづらい。

「天龍」の左舷排水樋?正体は不明だが、形状そのものは比較的明瞭にわかる。[11]

正体はともかく、キットは「天龍」の形状にて正確にモールドされているので、「龍田」を作る場合は削り取っておこう


上記を通してみてみると、ハセガワの新キットは舷外電路以外の基本設計は「天龍」で、そこからできるだけ少ない手数で「龍田」を再現すると云うコンセプトなのかな、と思う。

無論、全て再現されているに越したことはないのだが、ゲームに端を発する艦船模型特需が今後長期的に続くとは考え辛く、また、シリーズ内での価格の整合もあるだろう。
それらを勘案すれば、前回触れた甲板のリノリウム目地や艦橋構造など、目立つところやユーザーの追加工作が難しい要素を1ランナーに収まる範囲に限定して再現し、他は敢えて予算と開発期間の為に目を瞑ったのではないか、と云う気がする。

いずれも難易度の高い加工は求められないので、このキット自体をストレート組できる程度の道具と技術があれば簡単にできるはず。
特に、2隻並べて飾りたい方は、すべて再現すると、かなり両艦の個性が引き立つので、積極的に試してみてほしい。


参考書籍

  • 田村 俊夫「日本海軍最初の軽巡『天龍』『龍田』の知られざる兵装変遷」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2』学習研究社、2005年、94-95頁^1、93-94頁^10
  • 『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年、13頁^4、24頁^5、11頁^6、23頁^7

  • 『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年、145頁^8、144頁^11
  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、268頁^9

参考ウェブサイト

全て敬称略。

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