上部構造物後半部の識別点 – 1/700で夕雲型駆逐艦をつくる: 4

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再び間が空いてしまったが、「夕雲型」各艦の識別点のつづき。後檣と艦尾対潜兵装の識別点について考えてみる。

写真に乏しく特定の困難な「夕雲型」の識別に於いて、この2点は明瞭に変化の境目が特定でき、部分写真からの識別に便利である。


今回も相違点一覧の再掲から。

「夕雲型」新造時の相違点・装備状況とキット対応表 (機銃を除く)

スマートフォンでは表組が見づらいため、画像化したものを添付する。

  舷外電路 艦橋頂部
測距儀
前檣の電探と
艦橋後部の電探室
1番煙突側面
の汽笛配管
後檣の形状 艦尾甲板と
爆雷軌道
夕雲 舞鶴前期 小: N17 電探無し: 夕雲D4 舞鶴前期? 幅広三脚:
夕雲D5
軌道無し:
夕雲/早波
E4
巻雲 藤永田 藤永田/浦賀
風雲 浦賀
長波 藤永田 狭小三脚:
早波/朝霜
K2+K3
巻波 舞鶴前期 不明 舞鶴前期
高波 浦賀 藤永田/浦賀
大波 藤永田?
清波 浦賀?
玉波 藤永田?
涼波 浦賀? 22号+外付電探室?:
早波J2+J1・K4+K5
藤波 藤永田?
早波 舞鶴中期 大: N16 22号+外付電探室:
早波J2+J1・K4+K5
舞鶴後期
濱波
(浜波)
軌道装備:
早波/朝霜F2+N20
沖波 舞鶴後期 大?: N16 22号+電探室内包:
朝霜G1+G3-5・K4+K5
舞鶴後期?
岸波 浦賀? 22号+電探室内包?:
朝霜G1+G3-5・K4+K5
藤永田/浦賀?
朝霜 藤永田 大: N16 22号+電探室内包:
朝霜G1+G3-5・K4+K5
藤永田/浦賀
早霜 舞鶴後期 舞鶴後期
秋霜 藤永田? 大?: N16 藤永田/浦賀?
秋霜 浦賀 大: N16 藤永田/浦賀

上記のうち、赤太字は3種のうち1種のキットにしかない部品を含むもので、赤字は3種のうち2種のキットにしかない部品を含むもの
舷外電路と汽笛配管については赤字がキットの仕様で、他は改造・自作が必要となるもの。

例えば、「夕雲」のキットをそのまま組むと「夕雲」~「風雲」の竣工時に近い姿となり、中でも舷外電路と汽笛配管の形が一致する「巻雲」が最もキット仕様に近い艦と云える。

後檣は陽炎型の踏襲から狭小な三脚へ

3番艦「風雲」までの後檣は「陽炎型」のものに近似した三脚楼にX字型の横桁を備えていたが、4番艦の「長波」以降は幅の狭い三脚となった。[1] 横桁は引き続きX字型のままである。写真に乏しく変化の境目の特定に難儀する「夕雲型」だが、後檣については3番艦の「風雲」の写真で前期型が確認できるため、珍しく特定が容易である。

「巻雲」: 1942年 (昭和17年) と「朝霜」: 1943年 (昭和18年) の後マスト
「巻雲」は前期型、「朝霜」は後期型。後脚の位置は変わらず前脚基部が後ろへ下がって直立気味になった。

キットでは「夕雲」が前期型、「早波」「朝霜」が後期型で、マストをプラパーツのまま使う場合、大戦中期以降の初期3隻を作る際にニコイチが必要となる。

なお、各艦とも竣工後に13号電探が逐次装備されたようであるが、最終艦の「清霜」の引き渡し時の写真では電探未装備であり、竣工時から備えていた艦は無いと思われる。

「朝霜」?: 1944年 (昭和19年) 11月14日
多号作戦中のオルモック湾での撮影とされる写真で、不鮮明だが13号電探らしきものが写っている。出典では艦名不詳だが、撮影データが正しいなら当日残存の参加艦は「朝霜」のみ。

「濱波 (浜波)」: 1944年 (昭和19年) 11月11日
出典では「長波」とされているが、汽笛配管の形状や煙突帯から「濱波」と思われる。煙に霞んでいるが13号電探らしきものが写っている。

艦尾対潜兵装は、爆雷投下軌条が追加される

艦尾兵装は13番艦「濱波 (浜波)」以降の7隻に防弾板付きの爆雷投下軌条が装備された。これも後檣同様、12番艦「早波」が未装備のまま竣工した写真が確認できるため、確定とみてよかろう。「早波」のキットには不要パーツとして軌条付き艦尾 (F2) と防弾板 (N20) が含まれており、「濱波 (浜波)」や「沖波」を作る時も「早波」のキットだけで完結するのが嬉しい。

「濱波 (浜波)」の艦尾付近: 1944年 (昭和19年) 11月11日
先と同じ写真の艦尾部分。軌条に施された箱型の防弾板が確認できる。

「早波」「濱波 (浜波)」: 1943年 (昭和18年) の艦尾
不鮮明だが、「濱波 」では上写真にある防弾板が竣工時から確認できる

大戦後半の竣工艦ではパラベーンが確認できない艦が多いが、最終艦の「清霜」が装備している写真が確認でき、取付機構そのものは前期艦同様に備えており、取り外して艦内に格納しているだけと思われる。

「清霜」の艦尾付近: 1944年 (昭和19年)
竣工時の「清霜」。箱型防弾板とパラベーンの双方が確認できる。


写真引用元

  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、628-630頁
  • 『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年、130頁
  • 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2』学習研究社、2005年、57頁

参考書籍

  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、628頁^1

全て敬称略

  1. 老猿 | | 返信

    ツイッター拝見しました。
    多摩の昭和19年時の図面ですが、デアゴスティーニの「栄光の日本海軍パーフェクトファイル」の第26号「5500t型軽巡洋艦1 球磨型」に舷外側面及び上部平面が掲載されています。
    ただ、同時掲載の昭和17年時よりも小さめです。
    私はPCに取り込んで拡大してみています。
    文字ははっきりとは読めませんが、艦尾の錨の前に爆雷投下台が各舷2基増設されています。
    また二番三番煙突の間の機銃射撃装置は中央に1基ではなく、各舷1基づつのようです。

    1. 春園燕雀 投稿作成者 | | 返信

      老猿様
      お久しぶりです、情報ありがとうございます!
      アマゾンに在庫あったので早速取り寄せてます。
      19年図面に関しては幸いにもMOMOKO氏の御好意でかなり情報を得てきましたが、流石にあれもこれもとリクエストする訳に行かず、これで手が止まっていた部分が一挙に進みそうです。

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