竣工時における各艦の機銃装備状況 – 1/700で夕雲型駆逐艦をつくる: 5

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今回は「夕雲型」各艦の識別点のラスト、各艦竣工時の機銃装備状況について考える。機銃そのものの装備状況についてはそこまで難航しなかったが、意外な伏兵、機銃台支柱の形状に悩む。


今回も相違点一覧の再掲から。

「夕雲型」新造時の相違点・装備状況とキット対応表 (機銃)

スマートフォンでは表組が見づらいため、画像化したものを添付する。

  艦橋前機銃 前部煙突後機銃 後部煙突前機銃
夕雲 無し 無し 25mm連装:
夕雲D3+M5
巻雲
風雲
長波
巻波
高波 25mm連装?:
夕雲D3+M5
大波 無し?
清波 13mm連装?:
早波/朝霜F1+M7
玉波
涼波 25mm連装?:
早波/朝霜F1+M5
25mm3連装?:
B24+M9
藤波
早波 25mm連装:
早波/朝霜F1+M5
25mm3連装:
B24+M9
濱波
(浜波)
沖波 無し?
岸波 不明
朝霜 25mm3連装:
早波/朝霜F3+M9
早霜 無し
秋霜 25mm3連装:
早波/朝霜F3+M9
清霜

上記のうち、赤太字は3種のうち1種のキットにしかない部品を含むもので、赤字は3種のうち2種のキットにしかない部品を含むもの

後部煙突前の機銃は、マル急計画艦以降三連装に

各機銃座の中で、最も初期から備え付けられていたもので、「特型」以来、日本駆逐艦の定番装備位置である。「夕雲型」においては初期は25mm連装機銃2基を装備、大戦中期以降は随時三連装化されている。

「長波」: 1942年(昭和17年)と「早波」: 1943年(昭和18年)の機銃台付近
いずれも不鮮明だが、連装と三連装の違いは辛うじて判る。

「写真 日本の軍艦11」によると、新造時より三連装を装備したのはマル急計画艦から、と記述がある。[1] 「夕雲型」では「早波」以降が該当し、新造時の同艦の写真にも三連装装備が確認できる。直前の「藤波」「涼波」はマル四計画艦だが、前者は「早波」と同日、後者も4日違いの竣工であり、建造中にマル急計画艦と同仕様にアップデートされた可能性も有るのではないかと思う。

連装機銃座のパーツは「夕雲」のキットにしか含まれないが、連装装備の時期の各艦は概ね他の部分も「夕雲」のキットの仕様に即しており、どの艦を作る場合もこの部分の不足に困ることは無いだろう。

艦橋前の機銃は、13mm連装装備を経て25mm連装へ

戦訓による最初の増設位置で、写真で確認できる中では「早波」の25mm連装機銃1基装備による竣工[2] が最も早い。ただし、写真では確認できないものの1943年 (昭和18年) 3月の第2水雷戦隊戦時日誌に「長波」への「艦橋前十三粍機銃装備」工事の発令[3] が記されており、この時期に竣工した「清波」「玉波」は13mm連装を装備して竣工した可能性がある。前述のとおり「早波」と同時期の竣工である「涼波」「藤波」は、写真は確認できなかったが25mm装備の可能性が高いのではないかと思う。

「早波」: 1943年(昭和18年)の前部機銃台付近
前掲の写真と同じものの艦橋付近。残念ながら、13mm装備艦の写真は見つけられなかった。

艦橋前機銃座は「夕雲」以外の2種のキットに含まれており、25mmだけでなく13mm機銃も用意されているのが嬉しい。

前部煙突後の機銃は、建造順と装備状況が一致しない

各機銃座の中で最後に増備されたもので、竣工時の写真で確認できるのは1943年 (昭和18年) 11月27日竣工の16番艦「朝霜」と、最終艦であり1944年 (昭和19年) 5月16日竣工の19番艦「清霜」である。[4] [5] また、1943年 (昭和18年) 10月15日竣工の13番艦「濱波」の竣工時に機銃台が無いのも写真で確認できる。[6]

「朝霜」と「濱波」の間に挟まれる14番艦「沖波」15番艦「岸波」は竣工時の写真を入手できなかったが、実際の竣工はいずれも1943年 (昭和18年) 12月と「朝霜」の後であり、素直に考えれば竣工時から装備していたと考えたいところ。

ところが装備確定の「朝霜」の竣工後、1944年 (昭和19年) 2月竣工の17番艦「早霜」には機銃台がなく、同じ舞鶴工廠製の「沖波」については未装備の可能性が高いだろう。「岸波」については「朝霜」「早霜」いずれとも造船所が異なり、正直、判断のしようが無い有様である。

18番艦「秋霜」については竣工時の写真が見つけられなかったが「朝霜」と同じ藤永田製であり、竣工時よりの装備とみて良かろう

前部煙突後の機銃座支柱は、3種以上ある

さて、この最後の機銃座だが、悩ましいことに確認できる艦毎に支柱の形状が違うのである。「朝霜」はキット指定のM17、「清霜」は不要部品扱いのM14で、これらは竣工時からの装備であり、それぞれ藤永田・浦賀の造船所による違いであろうと推測できる。

「朝霜」: 1943年(昭和18年)と「清霜」: 1944年(昭和19年)の増設機銃台付近
「清霜」は舷側だけでなく、内側にもう1本支柱があるのに注目。

頭が痛いのが「沖波」で、前述のとおり竣工時の写真は無いものの大破着底後の写真に機銃台が写っており、形状的には「早波」のキットで指定されているM16が該当する。だが、行動記録を辿ってもどこで増備工事をしたのか判然としない。

着底した「沖波」: 1945年(昭和20年)
この写真では不鮮明だが、写真集「マニラの残照」にも別角度からの写真があり、キットパーツM16が正確に再現している。

竣工から戦没まで詳細に記録された乗組員の手記が存在するのだが、入渠についての言及は「あ」号作戦と捷号作戦の間の7月18日付にて「爾後昭南及『リンガ』泊地ニ於テ訓練整備入渠」と云う、シンガポールにおけるもののみなのである。[7]

「あ」号作戦後に機銃増備、と云うのは多くの艦が実施しており時期的には丁度符合するのだが、はたしてシンガポールに機銃のストックがあったか、と云うのが判らない。

ちなみに、キットで同型の支柱が指定されている「早波」は1944年 (昭和19年) 2月15日に呉にて機銃増備が行われており、[8] ハセガワは「沖波」の機銃増備を呉とする資料を持っているのかもしれない。いずれにせよ、支柱形状についてはあまりに資料が乏しく、「少なくとも3種類はあった」以上の確定的な情報は得られなかった。


写真引用元


参考書籍

  • 東 清二「図で見る『陽炎型・夕雲型・島風』変遷史」『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年、121頁^1
  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、629頁^2^4^6、630頁^5

参考ウェブサイト

全て敬称略

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