写真を手掛かりに「天龍」と「龍田」の艦橋を作り分ける – 1/700で天龍型軽巡をつくる: 7

写真を手掛かりに「天龍」と「龍田」の艦橋を作り分ける

前回、意外な新情報によって「天龍」の艦橋形状については、かなり詳細を知ることができた。

しかし、「龍田」については依然として情報に乏しく、開戦直前に撮影されたわずかな写真を手掛かりに形状を特定する他ない。

今回は、不明なりに「天龍」と「龍田」の差異が判るように作り分けるとともに、艦橋基部の時と同様、写真を元にした推測により、両艦の羅針艦橋の基本寸法を割り出してみようと思う


「天龍」の羅針艦橋について

竣工時の「天龍型」は開放型の艦橋で、羅針艦橋は直下の構造物をなぞるような複雑な平面形であった。
その後、「天龍」は1932年 (昭和7年)[1] 、「龍田」は1933年 (昭和8年)[2] に、前檣の三脚化とともに側壁を固定化、その際に平面形もより直線的なものに改められているのが判る。

ハセガワのキットの形状から側壁固定後の「天龍型」の羅針艦橋平面はほぼ矩形の印象があるが、ここは、キットの印象をひとまず忘れ、先入観を抜いた状態で1935年 (昭和10年) の「天龍」の艦橋正面の写真[3] を眺めてみよう。

「天龍」の艦橋正面
極端なパースがついているため、実際より前端が幅広な印象になっていることに注意。

まず写真から判るのは、「天龍」の羅針艦橋中央部分が艦橋基部と同じ幅なので、1/700で約7.8mmである、ということ。

そして、そこから前方に向かって窄まり、司令塔の最大幅部分で司令塔とほぼ同じ幅となっている。
司令塔を先の3.5mm径として、作図してみると「天龍」の羅針艦橋前端は1/700で約2.2mm幅となる
推定される羅針艦橋前半部分の平面形の印象は、「球磨型」や駆逐艦「峯風型」のそれに近い。

また、中央部分とのサイズ比から耳の様に張り出している見張台は、幅10.5mmと推測。
この部分の前後長は、1942年 (昭和17年) の写真[4] の手摺との縦横比から、1.5mmと推定したが、もしかしたら、もう少し長いかもしれない。

羅針艦橋後端は角が三脚楼の支脚と接している。
艦橋同様に図面と上空写真を比較した結果、「天龍」の三脚楼の基部の幅は1/700で6.5mmと推測。
その値と高さから割り出すと、羅針艦橋床の高さでの三脚楼支脚の幅は約4.8mmとなる。

「天龍」の背面上空: 1934年(昭和9年) ?
下段キャンバス張り手摺の中央が途切れていることに注目。
最上甲板から傾斜梯子が掛けられているのではないだろうか。

また、前述の「耳」の部分より後ろは、艦橋基部に影が落ちており、基部より多少幅が広い事が判る。
よって、後半部分の絞り込みは、後端の4.8mm幅を基準に、基部の絞り角と平行にしてみた。

スクラッチした1/700「天龍」の艦橋平面形
全体的に「球磨型」を縮小したような平面形。

「天龍」の艦橋天蓋と測距儀について

「天龍」の羅針艦橋天蓋については、前回触れたとおり、1942年 (昭和17年) の写真[5] から、固定天蓋が設けられ、また、天蓋後端近くを貫通する形で、測距儀台の支柱が設けられているのが判る。

残念ながら、同写真では測距儀本体は見切れてしまっており、基線長は確認できない。
「一般計画要領書」では、計画時に2.5m型と1.5m型を各1基ずつ装備とされているが、「現状」の欄は空白で判然としない。

「天龍」の羅針艦橋の製作

さて、上記の工作であるが、形状そのものは特に難しい要素も無く、プラ板の箱組みで基本形を作成し、ハセガワの「汎用窓枠B」で窓枠を再現した。
窓枠は、天蓋前半までしかなく、後半は素通しになっている。

測距儀は、ピットロードの「WW-II 日本海軍艦船装備セット [V] 」の2m型がやや大きめなのを利用し、各部を薄く削り2.5m型として使用。

それ以外の装備は不明点が多いので、手元の「多摩」や「長良」の資料を基に、ジャンクパーツ等で双眼鏡や海図台などを設けた。天蓋を着けたら、大半が見えなくなったが。
また、今回は試みに、旗旈甲板手摺部分の信号旗掛を再現してみた。

スクラッチした1/700「天龍」の羅針艦橋周辺
戦時中の艦橋の写真が見つかったことで、窓枠の形状や双眼鏡の配置などはかなり正確に把握できるようになった。

「龍田」の羅針艦橋について

「龍田」については、「天龍」と異なり、前面ブルワークの傾斜が無いことが写真から明らかで、また、「天龍」と改装時期がずれていることから、「天龍」と異なる平面形の可能性もある。
だが、現時点では側壁固定後の「龍田」の艦橋が明瞭に写った写真は皆無で推測のしようが無く、今回は「天龍」と同一の平面形とした。

「龍田」と「天龍」: 1941年 (昭和16年)
かなり不鮮明ではあるが、前檣三脚化後の「龍田」の写真の中では、最も細部がよく分かる写真。

側面形については、1941年 (昭和16年) の写真[6] から、「龍田」の艦橋は「天龍」より背が高く、天蓋の高さが探照灯台とほぼ同レベルにあることが判る。

煙突や、三脚楼頂部のクロスツリーとの位置関係から、探照灯台の高さは両艦ともほぼ同じ高さにある事が確認できるので、「龍田」の艦橋天蓋は、「天龍」のそれより、1/700で約2mm程度高い位置にあることになる。
ブルワークも「天龍」に比べてやや高く、もしかしたら、側壁固定化の際に、床面もいくらか嵩上げされているかもしれない。

天蓋の素材については、写真では固定天蓋なのか天幕なのか判然としない。
だが、天面の探照燈台の前方に見張所らしきブルワークが確認でき、また、その下に支えとなる構造物が無いことから、固定化された天蓋上に見張所が設けられていたものと推測する。
というか、そうじゃないと、見張所が支えきれない筈。

また、測距儀については、「龍田」の天井高では露天艦橋の頃と同様、天蓋下に収める以外ない筈

「龍田」の羅針艦橋の製作

前述の通り、平面形は資料不足から「天龍」と同一とし、前面ブルワークの傾斜と、羅針艦橋ブルワークおよび天蓋の高さ、測距儀の形態、天蓋上の見張所を相違点とした

スクラッチした1/700「龍田」の羅針艦橋周辺
「龍田」の場合、細部が判る写真が皆無で、窓の2段化も見張所の測距儀も想像上の産物である。

ブルワーク上端から天蓋までの高さがあるため、窓枠は2段のものとし、ハセガワの「汎用窓枠B」の2段重ねで再現した。
測距儀は、「天龍」と同じくピットロードの2m測距儀から作製し、天蓋固定前の「天龍」の装備位置に取り付けた。
天蓋上の見張所は「白露型」や「陽炎型」など、「龍田」の改装当時に建造された駆逐艦の形状を元に製作。内部には、駆逐艦に倣い66cm測距儀を取り付けた。


スクラッチした1/700の「天龍」「龍田」と、ハセガワ製「天龍型」のキットの艦橋の比較
ここまで別物だと、流石に不安。

さて、実際に作って、ハセガワのキットと比較写真を撮ってみると、この艦橋周りについては全くの別物と云えるほどに形状が違い、非常に不安である。

特に、「龍田」については改装後の艦橋を写した写真が悉く不鮮明なので、今後、鮮明な写真が発見されると、今回の検証と仮説が完全に覆ってしまう可能性もある。

今や、何年振りくらいか判らない程の艦船ブームなので、数十年振りに新資料発見! 新資料を基に決定版キット発売!! とかありそうなのが怖い。
誰かがスクラッチすると決定版キットが出る、てのは、いにしえより伝わるスケールモデル界の伝統だからねえ。


参考ウェブサイト

参考書籍

  • 『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年

    • 石橋 孝夫・戸高 一成「軽巡洋艦『天龍』写真説明」3頁 ^3
    • 石橋 孝夫・戸高 一成「軽巡洋艦『龍田』写真説明」24頁 ^6
  • 「特集 艦艇の軍事機密」『一億人の昭和史 [10] 不許可写真史』毎日新聞社、1977年、144頁 ^4 ^5

全て敬称略。

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