今回は魚雷発射管とその周辺。
ハセガワのキットでは、まるっと省略されているせいか、予備魚雷格納所やスキッドビームについて参考になる先行作例も乏しい。
艦橋と並んで想像造形の部分が多く、見た目の地味さに反して手こずらされた。
魚雷発射管と予備魚雷格納所
「天龍型」は六年式3連装魚雷発射管を装備しているが、各社の武装パーツ系商品に、そのものズバリは存在しない。
森恒英氏の「日本の巡洋艦」によると、発射管自体は「球磨型」や、「樅型」「峯風型」駆逐艦の装備していた六年式連装発射管と同一らしい。[1]
よって、ピットロードの「新 WWII 日本海軍艦船装備セット [4]」の六年式連装発射管をバラして3連装として再構築した。
以前の「樅型」に続き、またも六年式発射管の部品だけ使うので、他の発射管が余る余る (笑)
「天龍」は1933年 (昭和8年) 頃、発射管の左右移動軌条を廃止し、基部の旋回盤を嵩上げしている。[2]「龍田」は資料がないが、同年に艦橋と前檣の改正工事を行っている[3] ので、同時に発射管の改正もなされたのではないだろうか。
旋回盤の高さは、1/700で約2mm程で、コトブキヤのプラユニットM.S.Gの丸バーニア5mm径を2枚重ねにし、高さを調整して使用した。
ハセガワのキットでは完全に省かれているが、予備魚雷の格納位置は、前部発射管は左舷、後部発射管は右舷と、それぞれ片舷のみで、発射管直後の甲板室脇にある。
予備魚雷の格納所は駆逐艦のような鋼製の函では無く、骨組みの上にキャンバスを被せただけの簡易なものであったようだ。
工作的にはプラ棒をつけるだけでも良いが、間延びしてしまうので、より「らしく」するために、ひと手間加えた。
芯となるプラ角棒の上にエッチングメッシュを接着、更にその上からマスキングテープを貼って、メッシュの目地の部分を厚み分凹ませることで、キャンバスの弛みを表現してみた。
魚雷装填用スキッドビーム
前述の発射管嵩上げの際、予備魚雷格納所の上にスキッドビームが新設されている。装備位置の高くなった発射管に魚雷を装填するためであろう。
スキッドビームの外枠部分は、この改修当時に建造された「白露型」駆逐艦などのような梯子状のものではなく、一本の鉄骨を格納函上に渡しただけの簡素なつくりである。
また、詳細は後述するが、魚雷を吊るビーム部分は、特型駆逐艦に似た棒状のものが取り付けられている。
前部予備魚雷格納所のスキッドビームの様子が判る写真としては、1934年 (昭和9年) の斜め前方からのもの (以下、写真1) [4]、1942年 (昭和17年) の船首楼甲板から撮影されたもの (以下、写真2) [5]、そして、写真1と同時期の斜め後方からのもの (以下、写真3) [6] が確認できた。
全て「天龍」で、「龍田」の写真はない。
写真1: 機銃台設置前なので、スキッドビームの全容が捉えやすい。
その内、最も全容を捉えているのが、写真1で、外枠部分に直交するように前後方向へ支柱が伸びており、そこから魚雷懸架用のビームが吊られているのが判る。
写真2: 機銃台より上が、1番煙突まで消える大修整だが、スキッドビームは修正する必然もないのでそのままではなかろうか。
写真2では、スキッドビームの上面にベタ付けされるように機銃台が設けられているのが判るとともに、伝声管に隠れているが、魚雷懸架用のビームが確認できる。
写真2のキャプションでは「合成されたデリック」とされているものの、写真1と照らし合わせてみると魚雷懸架用のビームと思われる。
比較的有名な写真1では、一見するとビームそのものが無いように見えることから、合成と誤解されたのではないかと思う。
写真3: やや不鮮明ではあるが、この位置に補強があるのは合理的。
写真3では、外枠の天辺部分から、後方に補強用の支柱が延びているのが判る。
後部予備魚雷格納所のスキッドビームの様子が判る写真としては、写真1、2と同時期に右舷後方から撮ったもの (以下、写真4) [7]と不鮮明ながら1937年 (昭和12年) ごろに右舷前方から撮ったもの (以下、写真5) [8]がある。これも同じく「天龍」である。
写真4: 現状、後部スキッドビームの詳細が判る唯一無二の写真。
写真5: 多分、1、3、4と同時期の写真。良いアングルにもかかわらず、元写真のサイズが小さく詳細が読み取れないのが惜しまれる。
写真4と5を照らし合わせることにより、外枠部分は外舷側が前方になるように斜行して設置されていることが判る。
細部は全て写真4に拠ることになるが、ポイントとしては、外枠上辺が、格納函上より外舷の通路側の方が一段高くなっていることと、キャンバスが掛かっていて判り辛いが、魚雷懸架用のビームが外枠から一点のみで吊られている点が、前部のそれとは異なる。
いずれも、プラストラクト0.3mm角棒で再現した。
……と、文字にすると1行足らずだが、華奢な構造で作った端から壊れていくため、2隻分×前後で、2週間くらい費やしている。
機銃台を付けると見えづらいので、取付前後で。内側前方の補強桁は想像。
こちらも内側前方の補強桁は想像。
前部のスキッドビーム上には、13mm単装機銃用の銃座がある。
銃座そのものはいくらか写真が残っているが、支柱部分の判る写真は皆無で、特にスキッドビームのない右舷側の構造は全く不明である。
また、左右の銃座の間も不明で、左右独立しているのか、駆逐艦のように煙突前をつなぐような通路があるのかも不明。
図面の縮尺が違うので判りづらいが、概ね「白露型」の機銃台と同サイズ。
ここは、ほぼ想像で、駆逐艦方式の左右連結型にしてみた。
大きさと形状は、設置当時に建造されていた「白露型」駆逐艦の機銃座を参考にしている。
また、右舷側の支柱は一般的な機銃座に倣い、旋回軸直下に円柱を設けた。
左舷側は、前掲の写真3で左舷銃座下に円柱があるようにも解釈できるが、どう考えても予備魚雷が取り出せなくなるため、スキッドビームへの芋付けとした。
と云う訳で、いつにも増して地味なスキッドビームの回だったが、実際には記事の内容以上に難航している。
写真でも微妙に作り直しの痕跡が残っているが、仮説を立てて製作し、記事用に写真解説を付けていると間違いに気付いてやり直し、的な事を少なくとも3度は繰り返している。
結局、左舷機銃台の支柱など、釈然としないままになっている個所もあり、今回は歯切れの悪い表題なのである。
参考ウェブサイト
- hush『The Naval Data Base』 ※ 著者名・サイト名とも英語だが、本文はすべて日本語
- 「Tenryu. 天龍. てんりゆう. てんりゅう.」2002年公開、2012年最終更新、^2
- 「Tatsuta. 龍田 (竜田). たつた.」2002年公開、2010年最終更新、^3
- 「Japanese cruiser Tenryū」『Wikipedia, the free encyclopedia』、2014年4月閲覧 ^7
参考書籍
- 森 恒英「六年式 (53センチ) 三連装、連装発射管」『軍艦メカニズム図鑑 – 日本の巡洋艦』グランプリ出版、1993年、249頁 ^1
- 「天龍型」『日本巡洋艦史 世界の艦船 2012年1月号増刊』海人社、2011年、81頁 ^4
- 「『天龍』『龍田』」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年、78頁 ^5、74頁 ^6
- 石橋 孝夫・戸高 一成「軽巡洋艦『天龍』写真説明」『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年、8頁 ^8
全て敬称略。