上甲板を敷き直す – 1/700で樅型駆逐艦をつくる: 12

甲板敷物、砲座の支柱、予備魚雷格納函と、見栄えやシルエットが大きく変わらない地味工作3本立て!

上甲板を敷き直すさて、今月のネタは……て、別に月刊制のつもりはないのだが、記事にまとまるほど目に見えて進捗するのに、毎度これくらいの時間が掛かってしまう模様。


上甲板面の処理と、リノリウム張りの範囲について

船体を延長した為、必然的にキットのリノリウム押さえのモールドは位置が狂ってしまう。
延長部分だけ作り直すという手もあるが、技量的に大抵は作り直した部分だけ浮いてしまうので、割り切って全て作り直した。

リノリウム張りの部分は概ねキットの表現で有っているようだが、2点疑問が有ったので変更してみた。

ひとつは、右舷煙突横にリノリウム張りの通行帯があるように見えること。
1922年 (大正11年) の上空写真[1] では、発射管まわりのリノリウム張り部分と同じような明度で写っている。
キットでは、ほぼ同じ位置に軌条らしきモールドがあるが、構造上どこにもつながらない為、ただの通行帯ではないかと推測する。

もうひとつは艦尾の鉄甲板部分。
角度的に明瞭では無いのだが、「栂」の艦尾の写真[2] では鉄張り部分が無く、後端までリノリウム張りのように見えるので、そのように処理した。

また、傍証として、同年の計画※1 でほぼ同時期に起工されている軽巡の「球磨型」「長良型」でも艦尾後端はリノリウム張り[3] [4] となっており、次級の「川内型」から後端が鉄張り[5] になっているという点も加味している。
艦種こそ異なるものの、装備的には機雷敷設軌条と副錨、旗竿程度の似通った装備なので、同じような甲板面の処理なのではないかと思う。

※1: 駆逐艦「樅型」と「蔦」「葦」「蓬」以外の「蔦型」、軽巡「球磨型」と「長良型」の前期3隻は「大正六年度計画」による建造艦。
駆逐艦「蔦」「葦」「蓬」と「若竹型」、軽巡「長良型」の後期3隻が「大正七年度計画」艦で、軽巡「川内型」は少し開いて「大正九年度計画」艦。
「大正五年度計画」の駆逐艦「江風型」と軽巡「天龍型」の相似に顕著なように、この時期の駆逐艦と軽巡は水雷戦隊で対になって運用するためか、同時期の計画艦同士で艦形や装備に共通性がみられる。

ハセガワ製の1/700駆逐艦「樅」キットの、船体延長に伴う上甲板モールドの作り直し塗装しないとスパンウォーターと排水樋がわからんか……

上甲板のリノリウム表現は、一般的な凸モールド表現が過剰な感じで好きではないので、ホビーベースのプラストライプ2.5mm幅を敷き詰めて目地を凹モールド化してみた。
スジ彫りでも良いのだが、延長部分の継ぎ目処理やヒケ対策を鑑みてこの方が手間が少なかろうと。

実物の写真をみるとリノリウム押さえの厚みは精々1cm有るか無いか位で、引きの写真だとただの目地にみえるので、敢えて扱い辛い凸モールドにする意義が見出せなかったというのもある。

また、高さを揃えるため、鉄甲板部分も同様にプラストライプシートを切り出して貼り付けた。 滑り止めモールド入りエッチングを使う手もあるが、このスケールでの滑り止め表現は好みではないので。

舷側のスパンウォーターは、プラストライプ0.5mm幅を舷側に沿って貼り付けて、ピットロード製品っぽい処理にした。
今回は図面から排水樋の位置がわかったので、スパンウォーターの部品に僅かに隙間を空けてそれらしく見せてみた。
上甲板はプラストライプ祭りだねえ。

砲座側面の支柱について

2番・3番砲座側面の支柱は、例によってプラストラクトの0.3mm棒+プラストライプの0.5mm幅で再現。なんか最近、これ以外の素材を使っていない気がする……

「栗」「栂」は、2番・3番砲座ともに素通しの構造だが、「蓮」だけは2番砲座横の支柱の上半分が板材で塞がれている[6] ので注意。
各艦の写真を比較する限り、これは「蔦型」共通の特徴ではなく、建造所である「蔦型」後期以降の浦賀船渠建造艦固有の特徴のようだ。「蓮」以外だと、同型の「菱」[7] や、「若竹型」の「早苗」「早蕨」[8] [9] の写真などでも確認できる。

予備魚雷格納函の蓋について

ハセガワ製の1/700駆逐艦「樅」キットの、新造した予備魚雷格納函に蓋を追加
金が掛かるが、上面がのっぺらぼうの時に比べ格段に「格納函」らしさが出る。

前後の予備魚雷格納函は、上面の蓋をハセガワの水密扉セットで再現。
蓋の枚数は、製作図面の下敷きとした「若竹型」の「芙蓉」の図面[10] に倣って5枚とした。
ただし、ここは「峯風型」~「神風型」系列が「樅型」~「若竹型」系と同じ魚雷を装備しているにもかかわらず、4枚蓋の予備魚雷格納函が描かれた図面[11] があったりするので、今回の「栗」「栂」「蓮」の蓋の枚数が異なる可能性も、大いにあると思う。


冒頭で書いた通り、高々この程度の工作で1か月って、我ながらどんだけ作業遅いんだよ、と。
比較する対象が間違っている気もするが、本職と兼業でやってる商業誌のライターさんてのは、技量はもちろん、製作スピードも凄ェなと思った次第。


参考書籍

  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、275頁 ^3、542頁 ^1、543頁 ^7
  • 雑誌「丸」編集部 『丸 季刊 Graphic Quarterly 写真集 日本の駆逐艦 ()』潮書房、1974年、157頁 ^2
  • 上農 達生・田村 俊夫・H. P. S「クローズアップ写真選」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年 、71頁 ^4^5
  • 阿部 安雄「日本式設計駆逐艦の確立」『日本駆逐艦史 世界の艦船 2013年1月号増刊』海人社、2012年、67頁 ^6、70頁 ^8、71頁 ^9
  • 畑中 省吾「駆逐艦『若竹型』 昭和9年 (1934年) 時の『芙蓉』」『艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜・1』モデルアート社、2005年、87頁 ^10
  • 戦前船舶研究会「駆逐艦『秋風』(最終状態) 舷外側面・上部平面」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ18 特型駆逐艦』学習研究社、1998年、139-142頁 ^11

全て敬称略。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です