模型も1/700と縮尺幅が大きくなってくると、「物理的な正確性」が「イメージの中のあるべきかたち」に負けてしまうことがままある。
そこを、うまい具合に両者並び立つ程度の「造形的ウソ」がつける人になりたい。
さて、前回に引き続き、上構の工作である。
八八艦隊系駆逐艦の砲座は、ぼんやりしたイメージではなんとなくただの円盤が並んでいる印象なのだが、さにあらず。
1番砲座
手持ちの資料の中でこのキットについて触れている2冊、「艦船模型スペシャル No.17」 (以下、「艦スペ」) や「日本海軍小艦艇ビジュアルガイド 駆逐艦編」では、何故かスルーされているが、船首楼上にある1番砲座はキットのような甲板面からの段落ちではない。
ここは、船首楼甲板上に円形の木製グレーチングが乗っており、その厚み分だけ甲板面より高くなるのが正解。
また、直径もキットのものよりはやや大きい。 そのため、左右両端は両舷タートルバックの傾斜部分に覆いかぶさるようになっている。
「世界の艦船」増刊の「日本駆逐艦史」に掲載されている「蓮」の上空写真[1]や、学研の「歴史群像 太平洋戦史シリーズ18 特型駆逐艦」掲載の「柿」の1番砲付近の写真[2] で明瞭に見て取れる。
余談だが、本型の拡大版にあたる「峯風型」の「澤風」[3] や、「野風型」の「野風」[4] の上空写真でも、同様のグレーチングが確認できる。
これが「神風型」後期艦の「夕風」[5] や「睦月型」[6] ではグレーチングが消え、鉄甲板むき出しになっているのが写真から確認できる。
「若竹型」や「神風型」前期艦は確認できる写真が手元にないが、艦スペ掲載の「芙蓉」の図面では、グレーチングの形状と思しき円形が描かれているので、恐らくグレーチングはあったものと思われる。
脱線した。
「蓮」の上空写真[7] や「若竹型」の図面[8] から、「蔦型」「若竹型」の1番砲座グレーチングの平面形は、後端をまっすぐ切り落とした正円と思われる。
一方、「柿」の写真[9] で後端の直線部分がないことが確認できるので、「樅型」では恐らく単純な正円ではないだろうか。
両者の違いは、「蔦型」以降で砲座直後の銃座張り出しが無くなった事による、通路幅の確保のためではと推測。
ここは元になる部品もないので、0.25mmプラ板 を8mm径のポンチで打ち抜き自作した。
今回、初めて工作にポンチを使ってみた。
要領を掴むと面白いように綺麗な小径の円盤が作れる反面、音がうるさく休日日中のベランダでしか作業できないのが難。
これからの季節は、健康上、避けて通りたい工作だ。
さて、1番砲座だけは木材の目地が中心から放射状に入る (キットは段落ちになっているものの、モールド自体は正しい) が、このサイズではほとんど見えないピッチの上、綺麗に再現する方法も思い浮かばなかったので、省略した。
2番・3番砲座
前後の上構基部上に位置する2番・3番砲座の部品は、肉厚な上、平面形にやや疑問が残るので、1番砲と同様に0.25mmプラ板を8mmポンチで抜いて作成。
実は、各砲座とも図面を見る限り、基本形は正円では無く、もっと複雑な曲線に見える。
が、図面に忠実に切り出してみると、模型的には「正円を切ろうとして失敗した」ようにしか見えない。 しかも、技量的に同じ形で量産できる自信がなかったので、正円ベースにそれっぽくアレンジしてお茶を濁した。
今回工作した2番・3番砲座は、図面に忠実な形に始まり、写真の形状に行きつくまで、何度か作り直しをしているのだが、まだ完全に納得のいく形ではない。
特にこのクラスに限らず、旧日本軍艦艇を上から撮影した写真はきわめて少なく、側面形ほどに頭の中にしっかりとしたイメージができていないことが原因かなと思った。
数少ない同型・準同型艦の上空写真を子細に眺めると、確かに図面通りの複雑な平面形であるのがわかるのだが、「子細に」というのがミソで、空撮特有のブレやピントの甘さ、レンズによる写真全体のゆがみも相まって、一見すると単純な円の印象が残ってしまうのだ。
この脳内に残った2つの像のどちらに寄せていくか、悩みまくるのだが、そこがスケールモデルならではの楽しみだったりする。マゾじゃないけど。
参考書籍
- 中川 務「八八艦隊計画の駆逐艦」『日本駆逐艦史 世界の艦船 1992年7月号増刊』海人社、1992年、61頁 ^1 ^7、78頁 ^5
- 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ18 特型駆逐艦』学習研究社、1998年
- 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、561頁 ^3、567頁 ^4
- 畑中 省吾「駆逐艦『若竹型』 昭和9年 (1934年) 時の『芙蓉』」『艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜・1』モデルアート社、2005年、87頁 ^8
全て敬称略。