スクラッチした方が早いのか? – 1/700で天龍型軽巡をつくる: 序

昨年、久々に模型を作ろうと思ったとき、実は復帰用に買ったのは「天龍」「龍田」の、「天龍型」軽巡の2隻。
他の軽巡はもちろん、駆逐艦に比べても構成要素が少なく、簡単に完成するのではないかと思ったのだ。

ところが、この「天龍型」、5,500トン級の陰に隠れて影が薄いのか、まとまった資料に恵まれない
公式図面はおろか、上空写真すら良いものが無く、基本形状、特に平面形の把握がきわめて難しいのだ。


定番資料の「写真 日本の軍艦」や、世界の艦船別冊の新旧「日本巡洋艦史」に掲載されている平面図は、どうも艦首形状が不自然に感じられる。
確証はないが、米軍の「ONI41-42」あたりを下敷きにした想像図のような気がする。

ウィキペディアより、米軍の識別用資料「ONI 41-42」の「天龍型」の項。
ウィキペディアより、米軍の識別用資料「ONI 41-42」の「天龍型」の項。船体、特に艦首のラインが日本艦のそれとは違う気がする。写真や図面準拠ではなく、基本寸法からの推定図なのでは。

結局、2、3ヶ月ほど調べても全く埒が明かず、復帰作には、もう少し難易度の低そうな艦として「樅」を選んだ。
だが、結果、それはそれで難易度が低くなかったのは、皆様ご存知の通り ()

側面図と正面図から、平面図をつくれないか

それはさておき、「天龍型」である。
その後も細々と資料を集めていたのだが、先日、東大のウェブ公開資料平賀譲 デジタルアーカイブ」に、「天龍」の側面断面と主要正面断面の船体線図がある[1] のを見つけた。
(何故か「球磨型」の資料扱い)
両者を組みあわせれば、幼児のやる「点つなぎ」の要領で、簡単な製作用の平面図くらい描けるのではないか、と思い立ち、2年弱寝かせておいた天龍型の製作に着手することにした。

「点つなぎ」でできた図面と比べると、ハセガワの「天龍型」の船体は全体に太い
煙突あたりの最大幅部分で約0.5mm、最も太りすぎなのが前部発射管付近で、約3.5mm程太い
また、船首楼甲板先端は逆に絞込みが急で細すぎ、上述の発射管付近の太さと相まって肩が張ったような、とても足が遅そうな艦型に見える。

とても固いキットを削るのと、好きな素材でのスクラッチ、どっちが楽?

船体幅については、艦船模型スペシャルの作例でも言及されており、削り込みによって修正されている。
だが、肉厚の限界ゆえか、まだ太く感じられる。
そこで、煙突脇で前後に切断した船体前半を更に左右に割り、発射管付近を最大値として楔状に幅詰めを試みた。
だが、不均一な幅詰めの結果、ラインの繋がりが不自然になってしまった
プラの弾性で緩やかな曲面が出るかと思ったのだが、ハセガワの樹脂は固く、全くしならないのだ。

ハセガワの「天龍型」のキットは、平面形に疑問が残る。
平賀資料から推定した平面図との比較。キットの状態 () では、前部発射管を中心に全般に太目。それを切って詰めたのが下だが、ラインのつながりが不自然で、余り上手くいかなかった。

バラバラに分割した船体は接着強度に不安が残り、上述の素材の固さゆえに整形も大変そうなので、この方法は却下
では、どうするか。

断面図を見る限り、喫水線上の面構成はかなり単純なので、自作できるのではなかろうか

まあ、フレアは手作業だとそれなりに難しい形だけどね……。
ものは試し、とりあえず、今回の製作主題はこれにしよう。

船体以外にも、キットの部品はバリや型ズレも多く、使えそうなのは後部シェルター甲板くらいである。
よって、今回は各社の装備品セットを活用して、スクラッチビルドに初挑戦! となる。

見えない所に拘るより、完成させよう

あと、今回は1年以内の完成を目指したい
別に締め切りがある訳ではないが、前回は何でもかんでも力を入れすぎ、中盤でダレてしまった時もあった。
なので、今回は報われない部分は思い切って引き算し、目立つところ、弄ってて楽しいところだけ拘ろう、てな感じで。

現状の資料

武装の変遷については、学研の「歴史群像 太平洋戦史」シリーズ (以下、学研本) の「真実の艦艇史2」に田村俊夫氏の詳細な調査が載っているので、これに準拠したい。

また、前回も活躍した「一般計画要領書」[2] に各部の寸法や装備品一覧、そして、前述の「平賀譲アーカイブ」の船体線図あたりが、形状出しや装備の洗い出しに有用そうである。

写真資料では、前述の「写真 日本の軍艦」に新旧「日本巡洋艦史」と、学研本の「軽巡 球磨・長良・川内型」、「写真 日本海軍全艦艇史」(所謂、68K本) あたりにそこそこまとまっている。

が、いずれも1930年代以降の鮮明な写真きわめて少なく、特に艦橋天蓋が固定化されたといわれている1937年 (昭和12年) 以降の艦橋を鮮明に写した写真は皆無である。(遠方でぼやけた写真はある)
また、艦橋の平面形についても決定的な情報がない。
平賀資料により、船体形状こそ大まかに特定できたものの、依然として艦橋形状は多くの謎が残る。
製作中になにか掘り出し物が有ると良いのだが……。


参考ウェブサイト

全て敬称略。

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