ディテールの密度を意識して後部操舵室周りを構築する – 1/700で天龍型軽巡をつくる: 4


ディテールの密度を意識して後部操舵室周りを構築する

今回は、後部操舵室とその周辺の工作について。

ここ数回の妄想祭りに比べると、ディテールなんかは写真準拠でサクサク進められたので、スケールモデル作ってるなー、という実感がある。

じゃあ、いつも作ってるのは何だ、と問われると困るのだが。


後部甲板室1層目の基本形の推定

1/700「天龍型」の後部最上甲板周辺
推測モデリングだが、5,500t級とさほど印象が違わないので、大体あってると思う。

後部甲板室については、「平賀譲アーカイブ」所収の公式図に描かれておらず、基本寸法に関するデータが無いため、すべて推測による。
まず、後部甲板室の横幅と高さは煙突基部甲板室に準じ、1/700で幅約5mm×高さ約3mmとした

全長も完全に推定となるが、3・4番砲座の位置は「平賀譲アーカイブ」所収の中央断面図[1] に描かれている支筒から特定できる
よって、写真から主砲支筒の前後スパンを計測したものをそれに合算。
中央断面図でのフレーム位置に前後の端が合う様に微調整し、後部甲板室の全長は1/700で約42mmとした。
3・4番砲座の直径は、5,500t級よりやや大きめの11mmとしたが、これは1934年 (昭和9年) ? の上空写真[2] における、機雷敷設軌条との位置関係から推定した。(「?」の理由は前回を参照されたし)

形状そのものは単純なので、各種プラ棒・プラ板の箱組みで製作。
煙突基部同様、四隅の角は軽いRになっている。
砲座の張り出し部分は、プラストライプのシートで基本形の円盤を切り出し、その上からリノリウムの目地表現のために2.5mm幅のものを貼り重ねた。
リノリウムの目地は、上甲板の時と同様、「天龍」と「龍田」で向きを変えている。

方位測定室について

1/700「天龍型」の方位測定儀周辺
ループアンテナは1つ抜くのに2つ3つは駄目にするので、地味に面倒。

最上甲板前端に方位測定室がある。
方位測定室は写真からの推定で前後2.7mm×高さ2.5mm×幅3mmにて製作。
1層目同様、方位測定室の四隅は軽くRがついている。

方位測定室周辺について、最もよく知られた写真は、青島における「天龍」の1934年 (昭和9年) の左舷後方からのもの[3] だと思う。
この時点では、角形の方位測定儀空中線 (アンテナ) を装備し、測定室後面に扉が設けられている。
その後、翌年の1935年 (昭和10年) の「天龍」の写真[4] では一般的な丸型ループアンテナに換装され、扉の位置は後面から左舷に移動している。
右舷側の扉の有無は不明だが、この位置には後部魚雷発射管用のスキッドビームがくるので、無いものと思われる。

測定室はエバーグリーンのプラ棒から削り出し、アンテナは、ピットロードの旧装備品セットIVの輪の内側をピンバイスで抜き、支脚はプラ棒と伸ばしランナーで自作。
ループアンテナはエッチングで手頃な価格のものが無く (大抵、他の装備類とまとめたセットの中にひとつふたつ付いてるだけである)、ピットロードの新装備品セットもやや大造りなので、ナノ・ドレッドあたりでちゃんと内側が抜けた物が出てくれないかなあと思う。

後部操舵室について

1934年 (昭和9年) の「天龍」後部操舵室後方より
当初、右舷側も左舷と同じ形だと思ってた。

各年代の側面写真から、後部操舵室は、1/700で前後約5mm×高さ約2.5mmと推定。 横幅は1層目と等しいので、今回は5mmで製作。
平面は単純な矩形ではなく、左舷後ろ1.5mm程度が斜めに切り欠かれている。
後部操舵室が鮮明に写った写真は何故か左舷側が多く、一見、左右対称に思えるのだが、右舷側は1934年 (昭和9年) の後方からの写真[5] をよく見ると切り欠きが無く、傾斜梯子が設置されている。
前後位置は、4番砲座の張り出し前端が後部操舵室後端に一致するような感じ。

1/700「天龍型」の後部操舵室平面
先の写真でわかるように、探照燈台は操舵室後端からやや後ろにオフセットされている。

エバーグリーンの各種プラ棒で本体を組み、天面にはプラストライプでリノリウムの目地を入れた。
こちらも、前面角のみ、方位測定室同様の軽いRがついている。

操舵室天面後端の探照燈台は、1.5mm丸棒とコトブキヤのプラユニットの丸バーニア3mm径で再現した。

後部甲板室まわりのディテール

1/700「天龍型」の後部甲板室周りのディテール
本来、右舷側前端には予備魚雷格納所があるが、発射管製作時にバランスを取る都合上、現時点では未装備。

後部甲板室の側壁は、砲座の影になって不明瞭な部分も多いのだが、右舷だけに予備魚雷格納所がある事から、左右非対称なつくりなのは確実である。

ここは、文章化しても良くわからないと思われるので、写真を見ていただきたい。
一般に流通している資料の写真は大半が「天龍」のもので、「龍田」については数少ない写真から差異が見つけられなかったため、両艦とも同じ処理にしている。

最上甲板上には、方位測定室直後に通風筒があり、4番砲の後ろにほぼ手すりと同じ高さの大きな箱と、後端左舷にその半分くらいの高さの小さな箱、後端右舷に小さな絡車が確認できる。
大小の箱は、天蓋が浮いてないので通風筒ではなく、キャンバス覆いもないので、弾薬箱か主砲の手入れ用具箱ではないかと思い、天面にいつものハセガワの水密扉で蓋をした。

この辺りは、正面や真横の鮮明な写真もないので、端材で試作しながら現物合わせでしっくりくる大きさにしていく感じで。
目立つ部分にある箱形の構造物は、ただ漫然とプラ棒を切って付けるより、ほぼ想像でも機能や役割を考えて扉やキャンバス掛けの表現をしてやる方が、模型としては密度が出て楽しいよね。


今回は、程度の良い写真が角度違いで何枚かあったので、基本寸法さえ特定してしまえば、前回の煙突基部より迷わず進めることができた。
特に、甲板室後端周りのディテールは、かなり再現度が高くなったのではないかと思う。

このあたりの絡車や収納箱などの配置は、先日作った「樅型」駆逐艦によく似ており、「天龍型」が他国で云うところの嚮導駆逐艦的な設計の艦である事が良くわかる。


参考ウェブサイト

参考書籍

  • 「『天龍』『龍田』」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年、75頁 ^2 、74頁^3
  • 中川 務「軽巡洋艦」『日本巡洋艦史 世界の艦船 1991年9月号増刊』海人社、1991年、98頁 ^4

全て敬称略。

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