今回は、短艇類についての検証と、各社パーツの比較の前編。
基本的には「天龍型」の装備を中心に解説を進めているが、5,500級の各艦も装備数は違えど同種の短艇を搭載しているので、そのあたりを作る際のパーツ選びにも応用できるはず。
八八艦隊計画軽巡の短艇搭載概況
「一般計画要領書」[1] によると、「天龍型」~「川内型」に至る八八艦隊計画で建造された各艦は、大戦時、以下の種類の短艇を装備しており、艦形によりそれぞれの定数に差異があるようだ。
- カッター: 9m型または30ft型を計2~3艘
- 内火艇: 9m型を1~2艘と、11m型を1艘
- 通船: 6m型または20ft型を1艘
メートル規格とフィート規格のものは、全長がほぼ同寸のもの。
アジ歴所収の工事訓令を検索すると、軽巡以外の艦種も含め、概ね1937年 (昭和12年) 頃に多くの艦がフィート型からメートル型へ更新されたようだが、上記のとおり大戦時もフィート型装備のままの艦もあったようだ。
「天龍型」の短艇搭載状況を検証する
同書の「天龍型」の項には、「計画時」は20ft通船と27ft通船が各1艘、30ftカッターと30ft内火艇が各2艘、そして、「現状」では、6m通船と9m内火艇、11m内火艇が各1艘、9mカッターが2艘とあり、総数が1艘減っている。[2]
この「現状」がどの時点のものか曖昧なのだが、とりあえず本稿では、作成日の1943年 (昭和18年) 頃の現状であると仮定する。
また、「天龍型」については、アジ歴に短艇換装について一部の履歴が残っており、それを辿ってみると概ね1934年 (昭和9年) 頃には、一部フィート型を含む以外、ほぼ「現状」の構成同様となっている。
「龍田」はなぜ11m内火艇を搭載しなかったか
ただ、その中で、唯一、「現状」と明確に矛盾するのが「龍田」の内火艇で、一旦、11m型の装備訓令[3] があったのち、実施直前で「球磨」の10m内火艇との相互交換の訓令[4] が下りている。
理由として、同訓令内で「龍田現有設備ノ儘ニテハ (中略) 大ニ過グルヲ以テ」とあるが、僅か全長1mの差がここまで問題になるだろうか?
恐らくこれは、以下の「天龍」の実績を踏まえての訓令ではないかと推察する。
1933年 (昭和8年) 9月の「天龍」の11m内火艇装備の訓令[5] 内において、搭載設備設置も併せて指示されており、これは恐らく、1934年 (昭和9年) 以降の写真[6] にみられる、右舷後部のラジアル型ダビットの事と思われる。
元から装備していたラフィング型では、収容時の短艇はダビット上に吊られている。
だが、ラジアル型ダビットでは、収容時に甲板上の架台に係止しておくことになり、船体幅の狭い「天龍型」では、運用上何かと不便だったのではなかろうか。
妄想でしかないけど、ただでさえ煙突横の通路は狭いので、合戦準備で走り回る時など、この違いは結構切実なんじゃないかと思う。
その結果、「龍田」では、ラフィング型で吊れる最大の内火艇ということで10m型が採用されたのでは? と思うのだ。
全長では高々1m差だが、前述の「龍田」の訓令では10m型が30馬力、11m型が60馬力と出力に倍の差があり、機関重量等で10m型に大きなアドバンテージがあったものと思われる。
その後、1941年 (昭和16年) の写真でも「龍田」に大型ダビットの姿が認められない[7] ことから、恐らく「龍田」は10m内火艇装備のまま開戦を迎えたものと思われる。
開戦前後の「天龍型」の短艇装備状況
上記を踏まえ、1941年 (昭和16年) から1942年 (昭和17年) 頃の「天龍型」の短艇の構成は、以下のように推定される。
- 天龍: 6m通船×1、9mカッター×2、9m内火艇×1 (左舷)、11m内火艇×1 (右舷)
- 龍田: 6m通船×1、9mカッター×2、9m内火艇×1 (左舷?)、10m内火艇×1 (右舷?)
また、「天龍型」は5,500t級と異なり、ボートダビットは「天龍」の右舷後部のものを除き、全てラッフィング型を使用している。
その後だが、田村氏の考証と米軍撮影の写真より、前後3列あった短艇収容スペースは、1942年 (昭和17年) の機銃台増設後に2列に減ぜられていることまでは判るが、代償重量として短艇の一部を降ろしたのか、もしくは重巡の様に段積みにして固縛していたのかは、資料皆無で定かではない。
「天龍型」の装備した短艇のパーツについて
今回はスクラッチなので、当然、各社アフターパーツから短艇類を調達することになる。
上記の内、6m通船とラフィング型ダビットについては、駆逐艦「樅型」の記事で各社比較を行ったので、そちらを参照していただきたい。
6m通船とラフィング型ダビットは、上記の比較に基づき、通船を新PT、ダビットをナノ・ドレッドから使用した。
通船には舵と櫓を追加し、ダビットは最前列の通船用の物のみ背が低い事が写真から判るので、0.7mm程下端を切り詰めて使用した。
9mカッター
9mカッターは、「天龍型」以外にも巡洋艦をはじめとして多くの艦に搭載されており、短艇パーツの中では最も選択肢に恵まれているといえよう。
以下は、主要各社の比較である。
新世代の2者はモールドの素晴らしさが際立っているが、WL大型艦兵装セットも側面形のシアーの感じなど、形状把握は秀逸。
PT旧装備品セットIII 品番: E-03 / 定価: 1,080円 (税込) | 整形はシャープだが、形状把握に問題があり、平面形・側面形ともに、あまり似ていない。 特に横幅がかなり不足しているのが難。 |
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WL大型艦兵装セット 品番: 517 / 定価: 972円 (税込) | やや縁が厚いものの、モールドや成型状態は程好く、形状把握も的確。特に側面形がすばらしい。 ダビットの取付穴付きと、甲板繋止用の架台付きの2種類のパーツが用意されている。 |
PT旧装備品セットVII 品番: E-12 / 定価: 1,080円 (税込) | 側面形は改善されたが、平面形が以前としてやや細い上に後半部が直線的で、あまり似ていない。 |
PT新装備品セットII 品番: NE-02 / 定価: 2,160円 (税込) | 外形寸法は正確で、モールドは繊細と品質面では文句なし。 ダビットの取付穴付きと、甲板繋止用の架台付きの2種類のパーツが用意されている。 また、今回比較したカッターの中で、唯一、舵が再現されているのも注目。 |
ナノ・ドレッド カッターボートセット 品番: WA-08 / 定価: 1,296円 (税込) | 外形寸法は正確でモールドはシャープ、上記PT新装備品セットと甲乙付けがたい出来で、オールが付属しているのも高評価。 こちらにはダビット取付穴や架台はなし。PTのものと比べるとモールドは大人しめだが、外板継ぎ目まで表現されている。 |
上記のとおり、旧PTは基本形状に難があり、今日的には厳しいものがあるが、WL装備セットと新PT、ナノ・ドレッドはいずれも的確な造形で甲乙つけがたい。
新PTとナノ・ドレッドはモールド面でも群を抜いているが、キャンバスを掛けた状態で設置するなら、WL装備セットでも充分な出来。
今回は、「樅型」駆逐艦の製作の際に大量に余った9m型が手元にあった、ナノ・ドレッドに、舵を追加して使用した。
長くなったので、今回はここまで。内火艇各種については次回にて。
予め意図したことではあったのだが、今回、6m通船とダビットについては、以前のリサーチ結果をそのまま活用できたので、調査の時間が大幅に短縮できた。
こんなとき、ウェブ上にログを残しておいて良かったなと思うのである。
私は耄碌しつつあるので、こういった事をノートなりPC内のテキストファイルなりに記録しておくと、高い確率で覚書そのものが所在不明になってしまうのだ (そこかい)
参考ウェブサイト
- 桜と錨「桜と錨の海軍砲術学校-史料展示室『一般計画要領書』(旧海軍艦艇要目簿・要目表) 造工史料」『桜と錨の海軍砲術学校』、2011年 ^1 ^2
- 『国立公文書館アジア歴史資料センター』
- Ref. C05023567800「第2004号 9. 5. 3 軍艦山城、金剛、比叡、赤城、多摩特務艦神威 (榛名、伊勢、扶桑) (龍田、加賀) 艦載端艇換装の件」防衛省防衛研究所所蔵、海軍省、1934年、3-4頁 ^3
- Ref. C05023568900「第3211号 9. 7. 18 軍艦多摩10米30馬力内火艇1隻と軍艦龍田11米60馬力内火艇1隻と相互交換搭載の件」防衛省防衛研究所所蔵、海軍省、1934年、1-3頁 ^4
- Ref. C05022860700「第4098号 8. 9. 14 軍艦隠戸11米内火艇1隻と軍艦天龍30呎内火艇1隻と相互交換搭載の件」防衛省防衛研究所所蔵、海軍省、1933年、1-2頁 ^5
- 「Japanese cruiser Tenryū」『Wikipedia, the free encyclopedia』、2014年7月閲覧 ^6
参考書籍
- 石橋 孝夫・戸高 一成「軽巡洋艦『龍田』写真説明」『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年、 24頁 ^7
全て敬称略。