ハセガワ新キットを肴に、砲雷装の形状について考える – 1/700で天龍型軽巡をつくる: 番外編2

ついに因縁の () ハセガワ新版天龍・龍田が発売されたので、スツーカをちょっとお休みして番外編。
手元にスクラッチしたものが2隻揃っているので、新ハセ版については特に急いで作る予定もなかったのだが、一部から熱いキット評リクエストがあったので、キット雑感と、スクラッチ版の際には気付かなかった考証の補遺を3題。


2016年 (平成28年) 1月追記: 新キットを本腰を入れて製作することにしたので、以下の内容をブラッシュアップし、別途連載を立てた
興味があれば、そちらも併せてお読みいただければ幸い。

キット総評

新ハセ版のディテールの素晴らしさと、旧版から面目を一新した艦橋形状については、既に模型誌各誌や、ネット上のレビューでも語り尽くされており、異論はない。よって省略。

やはり、「燕雀洞」としては、あまり語られることのない、船体形状について触れたい。
私がスクラッチした際と同様、船体形状の下敷きに「平賀譲デジタルアーカイブ」の船体断面図[1] (以下、「平賀図面」) を用いたと思われ、基本的な寸法は同図とほぼ一致

ハセガワ新版天龍型と、フルスクラッチ版の比較 同じく平賀図面ベースのスクラッチ版 () と比較すると、平面形はほぼ一致。

ただ、キットの喫水位置は新造時の平賀図面をそのまま踏襲している様で、やや腰高な印象。
設定年次である大戦期の「天龍型」の写真では、度重なる改正や老朽化のためか、図面よりやや乾舷が下がっている[2] [3]
これについての対応は簡単で、キットの船底板を省略して組むのみで良い

また、「天龍」の舷外電路設置は、1942年 (昭和17年) 5~6月の前檣短縮や機銃増設と同時に行われている[4] ので、キットを1941年 (昭和16年) 時として組むと実際にはあり得なかった兵装状態となる。
拘る向きは、舷外電路のモールドを削り取ってやると良いが、舷窓の「眉毛」や装甲板表現と密着しており繊細な作業が求められるので、自身の技術と相談といったところか。
「龍田」の場合は、開戦前に舷外電路を装備済なので、どちらの年次で組む際もそのままでよい。同艦の場合、左舷後部の汚水捨て管? は不要なので、削ってやると良い

上構については、魚雷装填用スキッドビームの形状などに異論が無くはないが、全般に不明個所だらけで私も確信が持てない。
これは間違いなくアウト、といった点は無いと思う。最大公約数の解釈としてはアリではないかなあと。

考証関係の補遺については、武装に関する、以下の3件がある。
ちなみに、基本的な資料などは、以前のスクラッチの際に用いたものとほぼ同じ。
上記リンク先では、資料一覧の他に簡単な解説もしており、これからキットを作るのに資料を買おう、と云う方には多少参考になるかも。

「天龍型」の主砲砲盾天蓋に折れ角はあるのか

ひとつ目は、主砲砲盾の天蓋について。
ハセガワのキットでは、天蓋に折れ角のついたタイプ (以下、便宜上「折れ天蓋型」) をモデライズしている。
これについては、以前検証した際の私の見解とも一致する。

ただ、モデルアート社の「日本海軍 軽巡洋艦総ざらい」 (以下、「軽巡総ざらい」) では折れ角の無い天蓋 (以下、「平天蓋型」) とされており[5]、テストショットの写真が発表された直後のツィッタァ上の反響でも「ハセガワやっちまったな」的反応が見られたので、あらためて写真を引用して検証しておこうと思う。

「天龍」の1番砲付近: 1935年 (昭和10年)「天龍」の4番砲付近: 1934年 (昭和9年) 以前にも掲載したが、「天龍」の1番砲と4番砲付近。[6] [7]

上記のとおり、「天龍」の天蓋は紛うことなく「折れ天蓋型」 である。従って、「天龍」を組む場合はキットの表現が正解で、誤って折れ角を削ってしまわない様に
また、傍証として、以前紹介した主砲周辺の公式図面[8] でも折れ角がはっきり描かれており、「軽巡総ざらい」が何を根拠として「平天蓋型」としたのか理解に苦しむところである。

「天龍」の2番砲周辺: 1918年 (大正7年) 後述の「鬼怒」の様に、「折れ天蓋型」でありながら、図面は「平天蓋型」で作図されている例もあるので、図面だけを盲信するのは危険だが。

同書で他に「平天蓋型」と断定している艦の内、「北上」「鬼怒」についても、以下の様に「折れ天蓋型」と確認できる写真が残されており、同書のこの項については信憑性に疑問を呈さざるを得ない。

「北上」の1番砲付近: 1940年 (昭和15年) 「鬼怒」の7番砲付近: 1937年 (昭和12年) 「北上」[9]と「鬼怒」[10] も、ご覧の通り「折れ天蓋型」。

「龍田」については今回あらためて写真を確認してみたが、やはり確定できるものが無く、現状、不明とする他ない。だが、建造時期的に「折れ天蓋型」の可能性が高い、とみている。
「折れ天蓋型」「平天蓋型」の変化が建造時期によるものとする根拠については、以前の記事を参照されたい。

「龍田」の4番砲砲盾について

考証補遺ふたつ目、上記について検証していた折、もう一つ意外な発見があった。

「龍田」の主砲は、4番砲のみ砲盾後端が斜めに切り欠いた様な形状となっている。

「龍田」の4番砲竣工直後から開戦直前まで、いずれもこの形状。[11]

当初はカメラレンズによる歪みかと思っていたのだが、竣工当初から、開戦直前まで一貫して斜めである事が確認できる。
理由については一切不明だが、「龍田」が同砲の最初期の搭載艦の1隻である事を考えると、今日馴染み深い1~3番砲砲盾の形状に落ち着くまでに試作された盾の一つを、波浪の影響の少ない4番砲に流用したのかもしれない。

ハセのキットは勿論、他社製アフターパーツにもこの形状の物は無いが、天蓋の延長は無さそうなのでキットの砲盾後端を斜めにカットするだけで良い筈

「天龍型」の魚雷発射管防御について

考証補遺の最後は魚雷発射管。
また「軽巡総ざらい」の粗を突くようで心苦しいのだが、同書に記載されている、水雷艇風の簡易盾が付いた3連装発射管の想像図[12] は「天龍型」の実状と異なると思われる

まず、竣工~開戦頃までは、「球磨型」搭載の連装をほぼそのまま3連化した様な、盾の無い状態[13] である。
この状態は、少なくとも発射管増高後の1934年 (昭和9年) まで確認できる。

「天龍」の2番発射管付近
増高直後の写真では、発射管そのものには手が加えられていないことが判る。

その後、開戦劈頭のウェーク島攻略戦の戦訓により防弾板装備の訓令があり、「天龍」「龍田」とも断片除け防弾板が装備された記録が残っている[14]
「軽巡総ざらい」の簡易盾は水雷艇などに見られる前面ブルワークに天幕支柱を設けたものとして描かれているが、1942年 (昭和17年) の写真では、水雷艇風の盾はなく、発射管個別に箱状に防弾板が取り付けられているのが判る[15]
また、同写真では天幕支柱らしきものも確認できない。

「天龍」の1番発射管防弾板: 1942年 (昭和17年)
匙の先端が写っていないのが惜しいが、弾頭防御が目的である事を考えれば、先端まで防弾板が続く筈。

ハセガワの新キットを含む、既存プラパーツでは、この防弾板を再現したものはなく、他の発射管で似た形状の物もない。再現を試みるなら、キットパーツの上から短冊状に切ったプラ板を貼るのが最も近道だろう。


といった訳で、珍しく時事ネタと云うか、旬のものを取り上げてみた。
旧キットが余りにアレだったと云うのもあるが、新キットは同メーカーとは思えぬほど、形状把握・ディテール共にかなり高レベルで纏まっており、タッチの差でスクラッチした身としては、「あと1年早く出してくれれば……!」と恨み言の一つも云いたくなる出来である。
願わくばこのレベルで「睦月型」のリニューアルや、「神風型」「峯風型」のキット化がなされれば、と甘い期待を抱いてしまう。
各型、最低2駆逐隊分ずつはお布施しますんで、どーですか、ハセガワさん!!


参考ウェブサイト

参考書籍

  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、268頁^1、280頁^9、267-268頁^11、265-266頁^13
  • 『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年

    • 石橋 孝夫・戸高 一成「軽巡洋艦『龍田』写真説明」24頁^3
    • 石橋 孝夫・戸高 一成「軽巡洋艦『天龍』写真説明」3頁^6
  • 田村 俊夫「日本海軍最初の軽巡『天龍』『龍田』の知られざる兵装変遷」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2』学習研究社、2005年、95-96頁^4^14
  • 『モデルアート10月号臨時増刊 (通巻903集) 艦船模型データベース番外編 (IV) 帝国海軍 軽巡洋艦 総ざらい』モデルアート社、2014年、7頁^5、15頁^12
  • 「『天龍』『龍田』」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年、74頁^7、78頁^16
  • 「長良型」『日本巡洋艦史 世界の艦船 2012年1月号増刊』海人社、2011年、93頁^10

全て敬称略。

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