「長さ」と「全長」の悩ましい関係 – 1/700で樅型駆逐艦をつくる: 1

長さ、全長、垂線間長、とかく船に関する長さの数字はややこしい。 そしていつも模型ができてから間違いに気付いて悶絶するのだ。

製作にかかる前に、まずは資料を見て修正点を洗い出す。
特に、船体寸法などは、最初の内に修正をしておかないと後々泣きを見る事になるので。(実体験)

実際に手元の資料に照らし合わせて確認してみたところ、案の定、キットの船体寸法に疑問が湧いてきた。

参照した資料の内、樅型や準同型の若竹型の船体寸法に言及していたのは、参考書籍に挙げた2冊。 両書とも、最大幅は7.93mで一致するものの、長さ表記には食い違いが見られる。

衣島氏の「日本海軍艦艇図面集」では、全長: 85.34m/水線長: 83.8m (哨戒艇転籍後は83.82m)、東氏の「写真 日本の軍艦」内での要目表では、水線長: 85.34m/垂線間長: 83.82m (哨戒艇転籍後)、と、出てくる数値こそ同じものの、その当てはめ方に食い違いが見られる。

ハセガワのキットでは衣島氏の説と同様の解釈で、箱裏の要目に水線長を83.8mと記載し、部品自体の寸法も各0.5mm程短い (成形後の収縮?) ものの、ほぼ縮尺通りに合致する。
東氏の説に従うと、1/700では水線長でキットより約2mm長いこととなり、船体の延長工作が必要となる。

両書の記述には数値の情報源が記載されておらず、いずれも決め手に欠ける。
そこで、公式資料に正確な数値がないかと思い、国立公文書館アジア歴史資料センター (アジ歴) サイト内の資料を検索してみた。
すると、終戦間もない1945年 (昭和20年) 8月31年付で、若竹型の朝顔の引渡目録が残っており、その英語版 (レファレンスコード: C08011331400) に、全長記載があった。


画像は荒いが、見紛うことなく88.4mの記載。

同目録によると、全長が88.4mと記載されている。
この数値は、東氏の水線長・垂線間長の数値を正しいと仮定すると、かなり整合性のとれた値に思える。

戦後の混乱期とはいえ、れっきとした公文書なので、これで決まりだろう…と思いきや、
1947年 (昭和22年) 10月1日付、樅型の蓮の引渡目録 (レファレンスコード: C08011353300) には「『全長』83.82m」という記載がある。
こちらは、衣島氏の記述とも東氏の記述とも異なる値。 ただ、造船畑の方々には垂線間長を「船の長さ」として扱う慣例があるようなので、蓮のそれは垂線間長のことを示しているのかな…と強引に解釈すれば、準同型の朝顔の引渡目録と一応辻褄が合う。

それなら「長さ83.82m」の記述になるんじゃね? という心の中のセルフツッコミが聞こえるが、早く先に進みたいので黙殺

思わぬところで躓いてしまったが、全長: 88.4m/水線長: 85.34m/垂線間長: 83.82mという解釈の元、製作を進めようと思う。


参考書籍

  • 衣島 尚一『艦船模型テクニック講座Vol.6 日本海軍艦艇図面集 戦艦/駆逐艦/小艦艇篇』モデルアート社、1989年、70-71、74頁
  • 東 清二「図で見る『駆潜艇、哨戒艇』変遷史」『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年、167頁

参考ウェブサイト

  • 国立公文書館アジア歴史資料センター

    • Ref. C08011331400「the list of the vessel for delivery, destoryer asagao」防衛省防衛研究所所蔵、海軍省、1945年8月31日、2頁
    • Ref. C08011353300「引渡書 駆逐艦蓮」防衛省防衛研究所所蔵、海軍省、1947年10月1日、3頁

全て敬称略。

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