四角い顔の「樅型」と、狐顔の「蔦型」 – 1/700で樅型駆逐艦をつくる: 9

四角い顔の「樅型」と、狐顔の「蔦型」ハセガワ製「樅」「若竹」のキットの、全長不足に次ぐ難点は、両者の艦橋形状が一緒のものであるという前提で、どっちつかずの姿で設計されていることだと思う。

どちらで製作するにも、それ相応の手間が掛かってしまう。ましてや、存在自体が知られていない「蔦型」として製作するに至っては、何をかいわんや、である。
逆に言えば、ここの形をしっかり抑えておけば、決して別の艦には見えない、ともいえる。


「栗」「栂」の羅針艦橋

キットの羅針艦橋は、床面が「若竹型」、天幕と探照燈台が竣工時の「樅型」、という両者折衷の形状となっている。

「樅型」諸艦の探照燈台は1930年 (昭和5年) 頃には前方に拡張[1] [2] されており、同時期の「栂」[3] や「栗」[4] の写真でも、延長部分に測距儀が装備されているように見える。

今回は大戦時の「栂」や「栗」とするため、天幕の部品をゲージにして床面を作り、天幕から探照燈台を一旦切り離して、前方へ延長した状態で作り直した。
また、天幕は中心線で1mm幅増しして、両端で0.5mmずつ削り、バランスを変えている
これは1922年 (大正11年) の上空写真[5] からの印象によるものだが、他に上空からの写真や図面が無く、もしかしたらキットの寸法の方が正しいかもしれない
窓枠は、ハセガワのエッチングパーツ「汎用窓枠セットB」の天地0.8mmのものを使用。 「樅型」は、前半部分までしか窓がなく、後半部は支柱のみの吹き抜けなので注意。

ハセガワ製の1/700駆逐艦「樅」をベースした、「栗」の艦橋回り
「樅型」の羅針艦橋は、全体に四角く角ばって武骨で素朴な印象。

「蓮」の羅針艦橋

「蔦型」後期艦の「蓮」は、床、天蓋、探照燈台 (厳密には探照燈は無いので測距所か) と全ての平面形がキットと異なるため、プラ板で全て新造する他ない
1928年 (昭和3年) の「蓮」の上空写真[6] を見ると、羅針艦橋側壁が直線で前端が弧を描いており、鼻先の尖った三角形の「球磨型」巡洋艦の羅針艦橋に似た平面形に見える。
窓枠は「樅型」と同様、ハセガワのエッチングを使用したが、写真からの判断で「蔦型」は「樅型」より天地幅が狭い、0.6mm幅のものを用いた。

ハセガワ製の1/700駆逐艦「樅」をベースした、「蓮」の艦橋回り
「蔦型」の羅針艦橋は、「樅型」よりシルエットが整理され、滑らかな印象がある。

艦橋側面の見張所?

「樅型」「蔦型」の諸艦は、昭和初期に窓直後の側壁へ弧状平面形を持つ張り出しが追加されているようだ。[7] [8]
1930年 (昭和5年) の「柿」の写真[9] では、双眼望遠鏡が据え付けられているようにも見えるので、見張所かもしれない
キャンバス張りのため、正確な形状や位置はわからないが、とりあえず1mm径の半丸プラ棒でそれらしくしてみた。

「栂」と「栗」の相違点

以前、上構を作った際には気付かなかったのだが、「栂」の前後機銃座は他の「樅型」と異なる独特の形状をしている。
他の「樅型」諸艦の前部機銃座は前述の「樅型」上空写真[10] より後ろすぼまりの台形状の平面形であることがわかる。
対して、竣工後間もない頃の側面写真[11] から、「栂」の前部機銃座は左右端が平行で、かつ他の艦より気持ち後ろに長いことがわかる。
また、「樅型」諸艦の後部機銃座はやはり先ほどの上空写真から、下の甲板室幅よりやや大きめの円形であるのがわかる。
これに対し、左舷後方からの写真[12] より、「栂」の後部機銃座は甲板室天井をそのまま後方に伸ばしただけの矩形のように見える。

「栂」は「樅型」の中で唯一の石川島造船所製※1 であり、前後機銃座の形状は同所独自のアレンジではないかと思う。
石川島造船所は「蔦型」でも同所製の「菫」と「蓬」だけ舷窓の配置が他の同型艦と異なっており[13]、何かと自己主張の強い造船所なのかもしれない。

※1: 本ブログでは海軍省の「基本計画要領書」[14] の記述に基づき、「菫」と「蓬」は「樅型」ではなく、別形式の「蔦型」として扱っている。詳しくは以前の記事を参照のこと。

さらに、昭和初期には「栂」だけが後部銃座の直前部分が1階層分ほど高められ、見張り台のようになっている

ハセガワ製の1/700駆逐艦「樅」をベースした、「栂」の機銃台回り
同型の「栗」と比べ、矩形の部分が多く、やや四角張った印象。

これは1934年 (昭和9年) 側面写真[15] から明瞭に見て取れ、しかも「蔦型」「若竹型」の諸艦にも見られない形状なので、舷側の艦名表記が確認できない写真でも「栂」を識別するのに恰好の特徴となっている。
「栗」と「栂」は竣工から大戦中までほぼ同じ所属で行動しているため、両艦は竣工後の改修点の差も少なく、模型的には代わり映えがしないと思っていたのだが、えらく目立つ違いを見落としていたものである。


艦橋の基本形が見えてくると、一気に完成が近づいた気がする。
そして「樅型」と「蔦型」の印象の違いが際立ってきた。やはり艦橋はフネの顔なのだと再認識。

参考書籍

  • 中川 務「八八艦隊計画の駆逐艦」『日本駆逐艦史 世界の艦船 1992年7月号増刊』海人社、1992年、59頁 ^1 ^9、61頁 ^6 ^7
  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、539頁 ^2、540頁 ^15、542頁 ^5 ^10
  • 梅野 和夫・戸高 一成「『特設巡洋艦・二等駆逐艦・特設艦船』写真説明」『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年、147頁 ^3 ^4 ^8
  • 島田 和実「駆逐艦」『写真集 日本軍艦史 2.大正編 世界の艦船 8月号増刊』海人社、1977年、71頁 ^11
  • 雑誌「丸」編集部 『丸 季刊 Graphic Quarterly 写真集 日本の駆逐艦 ()』潮書房、1974年、157頁 ^12、164-165頁 ^13

参考ウェブサイト

全て敬称略。

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